短期集中連載『ダービー王』初回 ~村上 博幸(京都・86期)~

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村上博幸
10年の松戸ダービーが初戴冠となった村上博幸

 ~競輪の灯は決して消さない~。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、開催中止という苦渋の決断に至った「第74回日本選手権競輪(G1)」。輪界でもっとも権威のあるG1、ダービーの中止は画面越しとはいえ、心待ちにしていたファンにとってのショックははかり知れない。本来であれば6日間シリーズの初日を迎えるはずだった5月5日から短期集中連載で、“ダービー王”の称号に輝き、今もなおバンクで異彩を放つ選手たちの当時を振り返り、今に紡いでいく。

竹内祥郎記者

2020年5月5日 01時05分

兄弟ワンツーでダービーを制覇

 「ホンマに獲りたい、獲りたい。純粋にその思いが強かった」
 当時は30歳。選手として脂の乗っていた村上博幸(京都・86期)が、初タイトルとなった10年3月の松戸ダービーを思い起こす。
 「練習したこと、レースで経験したこと。その集大成を生かしてシリーズで(G1を)獲る状態にあったんだと思う。(いままでで)獲るっていう一番強い気持ちで臨んでいた」
 特選からスタートしていた村上博は、勝ち上がりまでの3走を4、2、2着。未勝利ながらも、自身では手応えをつかんでいた。
 「10年前は自在、追い込みだった。ダービーに関しては、6日間開催で4走しますから。それまでの3走はきれいな動き、しっかりした動きができて、それが決勝につながったんだと思う」
 兄、義弘(73期)とG1決勝の大舞台では初めての連係。「前を回らせてほしい」との弟の申し出を兄は却下。村上義、村上博の並びで大一番を迎えた。坂本亮馬、井上昌己の九州勢を叩いて、村上義が主導権。3番手、4番手には加藤慎平、山口幸二が虎視眈々とチャンスをうかがっていた。が、頼れる兄の背中を追った村上博が、松戸の短い直線で4分の3車輪、村上義を交わしたところがゴール。タイトルホルダーの兄が手にする前に、弟がつかんだダービー王の称号だった。
 「優勝して自然と右手が上がったのを覚えてます。松戸は1周、全部が観客席みたいになってたんで、みんがヒロユキって言ってくれて、うれしかった。震えるものがありました」
 その年の年末にはグランプリを制し、14年に全日本選抜を優勝。そして昨年の寬仁親王牌では、40歳でのタイトル獲得となった。
 「同年代では引退をしていく選手もいるし、この年齢で練習をしても強くなるっていうわけではない。自分はとくべつに体が大きいわけでもないので、俊敏さというか体の使い方だったりのいい部分を磨いてきた」
 あの松戸ダービーから10年以上の歳月が流れ、41歳でのS級S班。今回のダービー中止に、複雑な胸の内を明かす。
 「(ダービーは)あってほしかったですけどね。でも、いろいろな状況を考えると仕方ないと思います。自分も無観客を何開催か走ってる。(無観客に)慣れも出てきているけど、慣れたらアカンっていうのがある。どのレースでもそうですし、G1の決勝、グランプリであのお客さんのなかで走れたことが、自分の成長になってきた。(前回の)武雄記念では選手だけではなく、関係者が一丸となって協力していた。そのなかで走れて、あらためてコロナウイルスには気をつけなきゃアカンっていうのがありますね。今、(地元の)向日町(バンク)は使えていますけど、控室の窓を開けたり、外で着替えたりいろいろ気をつけて練習をやっています。いつもどおりというわけにはいかないですし、これからも開催をする難しさもあると思う。でも、早くお客さんの前で走れるようになりたい」

竹内祥郎記者

2020年5月5日 01時05分

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