不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第107回 テンション上がらぬ年末を迎える  2020年7月27日

 競輪祭ではまさかの優勝戦。吉岡選手の1着失格で私の1998年ケイリンGPは補欠が決定!仕事と家庭と私も妻も辛い想いをしましたが、長女の百合亜と次女もおりますので、2人の娘の元気な姿を見ていると、前を向いてその子の分まで頑張らないと!と思い毎日、涙を拭きながら妻の運転する車に付きながら誘導練習をした思い出もあります。
 そんな中、12月に入り懐かしの観音寺記念に出走しました。観音寺競輪場の思い出というと私はクセがなく軽いイメージのバンクで、昔ながらの良き風情な民家が集まる街並みのど真ん中にある競輪場で、空港から暫くタクシーに乗った思い出があります。その開催は関東勢の少ない開催だったと思います。「今開催は自力戦も考えながら、、」と初日5着、2日目1着、準決勝1着で迎えた決勝戦!やはり関東からは私一人の優勝戦進出となりました。準決勝が終わると地元の児玉慎一郎選手と香川雄介選手が私のところへ来ました。その当時の児玉慎一郎選手は、たまに自力も出すが殆どは追い込み中心のレース、香川選手も追い込みで売り出していましたので、児玉選手マークの並びとなり私との連携を求めて来たのです。正直、当時の私に白羽の矢を向ける事は児玉選手もさぞかし勇気を要したと思います。しかし私はその勇気と地元戦で頑張りたい!という思いは誰にだってある、、私は二つ返事で受けました。関東と四国の即席ラインだったが、任されたからには自分は勿論、ラインの中から優勝者が出る様に頑張る!私も頑張り甲斐がありました。
 レースは誰も出させずに先行勝負!BSを先頭で通過も最終2センターから4コーナーで失速、番手の児玉選手がゴール目指して踏み出しました!児玉選手も私が前で風を切って頑張っているのを少しでも残そうとしてくれたのだと思いますが、ラインで頑張りベストをつくしました。結果、児玉選手が3着、香川選手が4着だったと思います。競輪祭で色々ありましたが、気持ちを切り替えて頑張りました。
 そして12月27日、立川ケイリンGP’98の前検日を迎えました。補欠で向かう車内の雰囲気は、立川競輪場に行って帰って来るだけ、、もし何があっても俺だったら這ってでも行く!と思うと、欠場者が出て繰り上がりでグランプリ出場なんて聞いた事が無い、、。だよね~と考えれば考えるほどつまらなく感じました。競輪場に到着するとたくさんのファンの方がおり、到着する選手にサインを求めたり写真を撮ったりと雰囲気のいいグランプリ前検日の光景でした。私はグランプリメンバーが全員前検入りをしたところで確定後、帰郷となりました。寂しい、、想像はしていたけれど、こんなに寂しいなんて、、。買ったばかりのメルセデスベンツCL600で立川競輪場を後にしました!「あ~あ、つまらないな~この車、売ちゃおうかな~」とかテンションの上がらない年末を迎えました。ケイリンGP’98を自宅で見ながら「神山選手の後ろは俺だったのに~」と思うとフラストレーションが溜まりました。来年こそは!の気持ちで新年を迎えたのですが、新年一発目からやらかしてしまったのです。

ページトップへ