不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第108回 1999年はいきなり失格!  2020年8月23日

 1999年の年が明け、私は地元・群馬県にある榛名山へ早朝から街道練習に行きました。じっとしていると昨年の残念な思いや、悔しい思いなどが脳裏に甦って来るのが嫌でした。家に居ても、ふとした時にあの嫌な思いが現れるのです。それを完全に忘れられる時間が唯一自転車に乗っていることだったのです。日の出前に榛名山の頂上付近まで上り、初日の出が見える場所を探しました。群馬県は夏は気温が40度位まで上がるのに対して冬は極寒!凍り付く寒さ。頂上まで汗をかいて着替えるのも気合いが入る!しかも周りには街灯も無く真っ暗な状態なので、寒いし少し心細い心境でした。しかし「今年こそは!」の気持ちが強かったので、人事を尽くして天命を待つ!そんな思いで凍えながら初日の出を待ちました!そしてAM6:30過ぎに待ちに待った初日の出が鮮やかなオレンジ色で顔を出しました。私は初日の出に手を合わせて「今年は良い年になりますように!」と心を込めて願い事をしました。当然、「今年はグランプリに出場出来ます様に!それからG1を取って!」などお願いを始めると、次から次へと出てきてしまい当時の欲深さを感じます(笑)そして山を下り家族で初詣に行き、お正月を迎えました。
 当時からマイカー4台持ちでしたから、買ったばかりのホワイトのCL600ではグランプリ補欠の思いがよぎるので、もう一台の家族もゆったり乗れる黒塗りの日産プレジデントをチョイス!19インチのメッシュホイールを履いてエアサスキットで車高を落とし、フロントだけリップスポイラー装着!ナンバーも当時はまだ希望ナンバー制度は無かったけれど、私はコネと技を使い、常に11-11のナンバーが付いていましたので、どこに行っても堅気ではない人間に見られがちでした。当時は気合いも入っていましたから家を出た時点で全てが勝負!と勝手に思い込み、初詣の神社でもテキ屋のお兄ちゃんに睨まれると、その屋台に目をそらさずに近づいて行っては「お兄ちゃん!うまそうだね大盛りちょうだい!」と言っては焼きそばやたこ焼きを買いまくっていた思い出もあります。その度に妻から怒られていました(笑)。
 今思うと、そんなイケイケな精神状態はバンクの上だけで良いと思いますが、日頃のそのイケイケさが私のレースでの荒々しさや興奮を生んでいた様にも思えるので、今の時代の競輪には合わないスタイルですが、当時の先輩方に勝って行くには、そのくらいの気合いは私の中では必要だと思っていたし私の当時のノーマルでした。
 しかし、デビューしてから10年が経とうとする中で、昨年までの活躍をピークに陰りが見え始めたのです。これは私だけでは無いと思います。誰もがこれに対して怯え、不安を抱えながら、そうはなりたくない!と日々トレーニングに打ち込んでいると思いますが、その前向きな思いとは裏腹に流れがガラッと変わってしまう事があるのです。ケイリンGP'1996・1997と出場し1998年はまさかの吉岡選手の1着失格でグランプリ出場を逃し、こんな事があるんだ!?あれ?と思ったら最後!ガタガタと私の成績は落ちていき、正にスランプ状態!日々の不安に襲われので自転車に乗る!体を追い込んでいる時だけが危機感から気持ちを遠ざけてくれる。練習しているから自信はある!
 そして迎えた新年最初はG2共同通信社杯!場所は広島競輪場。昨年の思いをバネに今年こそは!と初日の特選を迎えました。その開催の優勝候補は競輪界のトップスター同期の吉岡稔真選手!しかし、関東も茨城県・十文字貴信選手という力強い選手もいます。私は勿論、十文字選手の番手を回りました。レースでは前を取った吉岡選手に対して、我々関東勢は後方から押さえて十文字選手の先行態勢となりました。吉岡選手は後方7番手からの捲り勝負になりました。先行した十文字選手はもの凄いダッシュを決めてトップスピードに持ち込みました。私は番手絶好の位置となりました。サラ脚で力も有り余っている状態でした。そうゆう時に思う事が、捲りをビタッと止めて十文字選手とワンツーを決める!これが決まった時は本当に会心の一言に尽きる。まさにやるなら「今でしょ!」もの凄いスピードで捲ってきた吉岡選手に対して、第3コーナーで私は外側に車体を持ち出して肩甲骨を吉岡選手に当てに行きました!なぜ?肩甲骨?と思うかもしれませんが、肩甲骨で当たると捲ってくる吉岡選手のスピード(動力)が私を押す形となり、私は体幹で当たるのでハンドルもブレずに勝手に進む原理になるのです。しかし、吉岡選手はさすが日本一の選手!私が思っていたスピードとは次元が違ったのです。しかも乗車フォームも綺麗な流線型!普通の選手はだいたいハンドルの上に頭がありその後ろに肩があるのに対して、吉岡選手はハンドルのだいぶ後ろに頭の位置がある乗車フォーム!私は吉岡選手のハンドルが私の太ももにまず強く当たった感触を覚えました。と同時に「こんな動力を自ら生み出して走っているのか!」と恐ろしささえ感じました。
 結果、私は吉岡選手を落車させてしまい失格と判定されました。レース後、医務室へいき吉岡選手に謝りに行くと、救急車が来ていて股関節を痛そうにしていました。あの後もスター街道を突き進んだ様に見えていましたが、その後、彼に聞くとあの落車をきっかけに調子が落ちて行ったと言っていましたので、申し訳ない思いでおります。そして私はその失格を境に1999年はパタリと泣かず飛ばずの1年が続く事になるのです。

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