不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第109回 自分自身を励まし続けた1999年  2020年8月25日

 年始め一発目の広島共同通信社杯で初日から競走妨害で失格をしてしまい、ファンの皆様、そして吉岡稔真選手と広島競輪さんには多大なるご迷惑をかけてしまいました。ファンの皆様からもの凄いお叱りを受けました。当時はそれはそれはもの凄かったですよ!
 賞金も無い一泊二日の群馬=広島のとんぼ返り、、。選手にとってこんなにもむなしい事はない。空港から家に電話すると、いつも妻は私の話を飛行機の出発時間まで聞いてくれます。そしていつも最後に言ってくれる言葉は、「怪我がなかったのだから、気をつけて帰ってきて下さい。子供達も待ってるよ!」と言ってくれるのです。私は精神的に自分自身を追い込んでしまう傾向があったので、妻のその言葉にいつも救われていました。吉岡選手には申し訳ない思いもあります。しかし、十文字貴信選手の番手で西の横綱の吉岡選手を相手に「絶対に横は通過させない!」という思いが強かった。そのくらい吉岡選手は強くて生半可な気持ちでは勝てない相手だったのです。
 ヘコみながらも飛行機に乗ると思い出すのはあの年末のトラウマです。胸が締め付けられました、、。そうです昨年の競輪祭での出来事が甦って来たのです。グランプリの補欠が決定した無念さと子供がダメに成った無念さと、、。私は気持ちを紛らわせようと飛行機に備え付けてある(当時)医者の聴診器みたいなビニールのチューブ状のヘッドホンを座席の穴に差し込みチャンネルを回しました。洋楽、邦楽や週間のベストヒット曲など色んなチャンネルがありました。まだアドレナリンが治まらず、レースを思い出しては技術的な事や事故点や斡旋規制やあっせんしない処置などを考えると、音楽では気持ちが落ち着かず最終的にチャンネルを合わせたのが落語でした。落語は聞き入るとその世界にいつの間にか引き込まれて想像しているとその話の中に自分がいるようにも感じて、あっという間に嫌な事を忘れられた時間でもありました。それから私は飛行機は落語をよく聴くようになりました。
 羽田空港に到着する時にはアドレナリンも下がり落ち着く感じです。ベルトコンベアーの様な所から流れて来る荷物を受け取り、輪行バッグも受け取り空港のエントランスに向かうのですが、当時は羽田空港の駐車場はもの凄く料金が高かったので選手達は別の駐車場を使っていました。事前に予約しておくと空港に車を取りにきてくれたり、持ってきてくれたりと便利で割安!しかし、途中欠場をした私はすっかりその事を忘れていて、羽田空港に到着してから駐車場の方に連絡を入れました。すると、その駐車場は人気でいつも競輪選手の車やその他の高級車を取り扱う業者、敷地は高級車で「すし詰め状態」になっているらしく、帰りが4日後になっていたため、私の車は一番奥になっていた様でした。車が出るまで2時間は空港で待つ事となり「マジかよ~」と1999年は踏んだり蹴ったりの始まりとなりました。でも、そこでふて腐れていても何も始まらない!その日は結局、夜中に帰り眠れないまま朝を迎えてそのまま朝練習に行った事も覚えています。
 しかし、それからというもの練習をやってもやっても成績には繋がりませんでした。話は少し戻りますが、20歳でプロデビューし、翌年には2億円近くしたサウナ・トレーニングルーム付きの新築物件を購入しましたが、それだけには飽き足らず売却後28歳の時に自分で設計した注文住宅が欲しくなり2棟目の自宅を建てたのです。その額は1億円!一般的に少し高額な気もしますが、最初の家が2億円でしたので「半額じゃん!」とそんな感覚で建てました。そんな直後のグランプリ補欠、そして年明け広島共同通信社杯の失格!高額な頭金を入れてしまったので、年明けから失格や成績不振で全然稼げない1月、2月、3月を迎えたのです。そうなってくると怖いのが確定申告後の税金です!4月にはウン百万円の所得税がドドーンとのしかかり、5月には住民税も確定し送られてきます。その額、1期百○万円也!それを4期払い、ご丁寧に来年の収入を予定した予定納税!というものが2期もあり、その他にも色々税金はあるのでホント税金に追われる日々が始まるのです。
 そして気持ちと裏腹に次は!とレースを頑張りますが、何のイタズラなのか?全く勝てない、思うような成績が出せない空回りが始まってしまいました。人生は山あり谷あり、振り返って見ると谷の方が多かった様に感じますが、自分なりに乗り越えてきました。今思うと「若さと思い込む力!」ということだと感じます。何も恐れず、自分は成功する!と信じて疑わなかったその強い気持ちと「やるしかない!」という崖っぷちの状況が私をパワーアップさせてくれたのだと思います。私はそうゆうタイプの性質だったようです。しかし、どこかで少しは不安だったのか??「やまない雨はない」とか「日はまた昇る」とか「ジャンプするときのしゃがんでいる時」だとか、「あいだみつお」さんの日めくりカレンダーをトイレに掛けていたりとか、1999年はとにかく自分自身を励まして気持ちを繋ぐ年でした(笑)。

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