不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第115回 黄檗山に行くと成績ダウン  2020年12月4日

 黄檗山も無事に終わり黄檗の駅から帰宅すると全てが新鮮に感じました。まず感じた事は、着てきたスーツを帰りに着るとスーツのズボンがぶかぶかな事!ベルトの穴は2つ3つ詰まっていました。そして次に感じた事は全ての食べ物がしょっぱく感じたということです。そして贅沢にも感じられました。私の人生の中で競輪で事故点をしない限り、精進料理や座禅など自ら進んでは行かないと思いますので、やはり自分の中では「たまには良い経験なのかな?」と思ったりもしました。私は事故点は「ラインを護ろうとする気持ち」と「投票して下さったファンの皆様の期待に応えたい」という強い気持ちがあったから私は仕方が無いと思っています。何回行ったかな~?黄檗山!良い思い出です。
 しかし、私は黄檗山に行くと途端に成績が悪くなるのです。これには正直参りました、、。若い頃、私は馬力と自分なりの感覚で勝負していましたから、急な食事制限で体重が落ち、体の踏ん張りが効かなくなるとヘロヘロ状態になってしまうのです。それは顕著に練習から表れていて、皆で街道練習に行っても最初の利根川河川敷でのちぎり合いからヘロヘロしてしまっていたのです。確かに呼吸は最初の2,3日は苦しくて苦しくてヤバイ感じでした。でも、もっと致命的だったのはちぎり合いの後の一人での上り坂です。いつもであれば自分の体重をペダルの上死点手前で「ズシッと」感じるその少し前に重心を移動し、重心を乗せたと同時にすかさずまた反対側に重心を置きペダリングを続ける。その【空中動作の中での連動動作】の円運動!その連続が体のバランスを失うと見事なまでにタイミングが掴めず、無意識で当たり前だった動作が出来なくなり、意識してしまう、、。意識するから余計に出来ない、、悩。体重が軽くなったせいなのか?上り坂をスルスルと登っていってしまうのです。私の感覚として、それはロードレースの軽快さであって、競輪競走でのトルク感や溜めやスピードを生み出す「ズッシリ」感では無いからなのです。周りの選手達はあまりそこを意識している人はおらず、がむしゃらに頂上を目指して一番にゴールしてその日の成果としていた様ですが、私の感覚はそこではなかったのです!なので上り坂で当時のペダリングポイントをすり抜けてしまう事に「ヤバイ!」の違和感と危機感を感じていたのです。
 不思議ですよね!自転車が上り坂でスイスイと進む事は普通ではベストな事なのに、競輪競走で必要なものはそこにはないなんて、、。しかし、周りの人がよく言う「自分の練習でのコレ!」の感覚。私の文章力で言葉にするとこのくらいの表現しか出来ませんが、黄檗山に行くとこの練習の軽快な状態が続いてしまうのです。しかもこの感覚はただ大食いをして体重を増やして合わせるだけではダメなので本当に苦労しました。体重と筋力と転がり抵抗から生み出せれる自分のペダリングポイント!当時から黄檗山の後、中数日で斡旋が入っていましたから、私はそのポイントを合わせる工夫として重量の重いフレームや、後ろの小ギヤも小さくして当たりを付けたりと色々とやり、黄檗山の後はとにかく先行していた事も思い出されます。
 そしてその年の全日本選抜競輪は事故点の制裁で出場は出来ませんでしたが、次走の特別競輪G1オールスター競輪に向けて一日でも早く自分の感覚を取り戻そうと日々を過ごしていました。

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