不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第116回 神山さんから頂いた言葉で再び火が付く  2020年12月18日

 地元のG1寛仁親王牌の決勝戦に乗った直後に1週間の黄檗山。急な体重の減少からコツコツと練習に打ち込み、その分栄養の勉強も自分なりにして質の良い食事も採るようになりました。同時にプロテインやクレアチンにも挑戦しましたが、当時は今の様に美味しい物が無く中々続きませんでした。今は美味しい味のプロテインも多くラインナップしているので、当時からこんなに旨いのならもっといい体になっていたのだろうな~と残念にも思います。
 話は戻りますが、調子も戻り臨んだ高知G1オールスター競輪。私は決勝戦に乗る自信を持って参加しました。前検日から胸がワクワクして早く走りたい気持ちがあったのを覚えています。そして初日、私は自力のメンバー構成で最終2コーナーから捲って3コーナーでは既に先頭に立っていました。そして4コーナー楽勝な感触で回ってきたはずが、まさかの4着ゴール、、。3着までが勝ち上がりのレースだし、感じも良かっただけに信じられない結果となってしまいました。高知バンクは500バンクなのでゴールしてから1周半して敢闘門へ戻るのですが、その間も「嘘だろ?」「もう一回走らせてくれ!」「調子よかったのに~」と心の中で思いながら引き上げて行ったのを覚えています。特別競輪G1で負けると何が嫌かって、開催がもの凄く長く感じるのです。決勝戦を目標に来ているのに初日でその夢は途切れてしまうのですから絶望でしかありません。
 そんな事を思っていると、私の尊敬する先輩・神山雄一郎選手が自転車を取りにきてくれて私に栃木なまりで一言「しゃ~ねえ~しゃ~ねえ~!4・1・1・1で締めくくればいい~」と言ってくれたのです。私は「そんな~そんな~」と言い返すと神山さんは「後閑は強いからだいじだ~!」と真顔で言ってくれていた事が何より嬉しかった。私は神山さんから頂いた言葉で再び火が付いたのです!そして2走目・3走目と1着を重ね、初日に負けたにも関わらず、最終日には準決勝を走った選手達と同じグレードまで上がる事が出来たのです。しかも最終日は関東で十文字貴信選手と同乗し番手を回れるメンバー構成!これは正に初日に神山さんが言ってくれた4・1・1・1で締めくくれる事になるかものレース。これで勝てれば決勝戦に乗れなくても調子の良いのは間違いではないし、自分でも納得ができ次に繋がると思いこのレースも勝ちに行きました。レースは十文字選手がHSで出切って先行!するとすかさず1センターで行かれてしまいました。私は大きくけん制をして番手を捌きました。そして十文字選手を番手に迎え入れて最終的に私が外を踏み伸びて1着!高知オールスター競輪を乗り切る事が出来たのです。
 思い起こせば前検日に決勝戦に乗れる仕上がりと自信を持ち、外車やら高級腕時計や別荘の雑誌を大量に買い込み、長い特別競輪を乗り越えようと乗り込んだのに初日に負けてしまい夢も希望も物欲も失せました。結局何をしていたかというと毎日、神山さんの部屋に行き、神山さんの爆笑体験談で腹が裂けるほど笑っていました。そして笑いながらも、ふと神山さんの居室に目をやると、トレーニングやサプリメントや自転車の本ばかり。私はそれを見て常に初心を忘れない、情熱を忘れず、強いからだとか、稼ぐからだとか、そんなことには興味が無く、いつも決して高ぶらない神山雄一郎選手の背中を見ながら競輪人生が送れていた事は、私にとって今でも貴重な財産と良い思い出です。

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