不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第125回 刺激をもらったフェラーリ512TR  2021年6月6日

 念願のフェラーリ512TRを手に入れた私は「頑張れば頑張るほど欲しいものが手に入る最高な仕事。競輪選手」と更に夢は膨らみました。因みにフェラーリ512TRの512とは5,000ccのV12気筒。TRはテスタロッサの略。この流線形で個性的なスタイルは今見てもそそられる魅力のある車です!買った当時はコレクターの方が持っていたので完全フルオリジナル!しかしまだ若かった私は、ノーマルで乗る気は無くスーパーカーの雑誌を買っては、マフラーやリヤウイングやホイールなどに気が行ってしまい、念願のフェラーリ512TRを購入するや否や頭の中はカスタムの事ばかりになっていました。
 ちょうどその頃、千葉県・東出剛選手も同じ赤のフェラーリ512TRを購入していたので、いつかは一緒にツーリングに行こう!という話になっていました。レースでは地区も違い、競り合う事も多々ありましたが、車の話題になると競輪の話はお互い無かった様に仲良く話した思い出があります。しかし、東出選手とはレースで色々ありました。今となってはいい思い出です。これは綴ってもいいと思うので、私と東出選手がよく競っていた理由を私側の見解で書いてみたいと思うのですが、ラインとは一般的に近い県同士で結束をするのですが、私達関東地区の選手からすると、東北は日本地図からしても千葉県や神奈川県、静岡県より近く地続きですから当然、東北の選手がいると権利はまずは関東地区にあると思うのですが、何故か東出選手は東北の後位を主張してきたのです!私からすると「いやいや!関東地区がいない時は東日本ラインで良いかもしれませんが、関東地区がいる時は通り越してのラインはおかしいでしょ!」と私と東出選手との間で意見がぶつかり、何度も縄張り争いが行われてきたのです!ですから今の東北ラインと南関東のラインが見られるのも、東出選手が関東の選手達を相手にマーク屋として主張し続けてきたから今の流れがあるのだと思います。そしてその流れを渡辺晴智選手を筆頭に南関東を代表する選手達が、自分たちの位置を確立してきての今があるのだと思います。南関東はそういった先人が主張し競り抜いて今があるのだと思います。私は東出選手とも、渡辺晴智選手とも幾度となく競った思い出があります。しつこい様ですが、「関東がいない時はいいけれど!関東がいるときは関東地区が東北地区とラインですから!通り越してラインとかありませんから(笑)」と私は今でもそう思っています。しかし、自分たちが生き抜いて行くために南関東の勇者(東出剛選手や渡辺晴智選手)のように一貫して攻めて来るとしたら、今後は東北ライン=南関東ラインという認識になりつつあるのかもしれません。関東地区の選手にはそれを許さない程の厳しいマーク屋の出現を私は望んでいます!
 そんなレースではバチバチに競る相手、東出選手とも私の記憶が確かなら、あれは秋田県・有坂直樹選手の結婚式に行ったときの話です。東京湾のシンフォニー号という豪華クルーズ船で披露宴は行われ、今思うと全てがバブリーで夢のある披露宴でした。有坂直樹選手もデビューしてからまもなくフェラーリ348tbやピンクのポルシェ911も乗っていましたから、夢をくれた偉大なレジェンドです!一緒にジュリアナ東京にもよく行きました(笑)。披露宴が終わり駐車場に向かっていると「パーン!パン!パーン!」と、凄く心地よい爆音が響いてきたのです!運転席を見ると真っ赤なフェラーリ512TRに乗る東出選手でした。私はフェラーリサウンドに痺れ、車を止めてもらいました。そして何度も空吹かしをしてもらいマフラーから奏でる音に酔いしれました。マフラーのメーカーを聞くとチュービーレーシングだと言っていたので、家に帰り直ぐに個人売買のサイトにアクセスしてフェラーリマフラーの出品を探したのも覚えています。そしてレースも少しでも多く稼いで自分のフェラーリにマフラーを付けたい!と練習も苦しさと痛みを更に乗り越えていきました!やはりその先には勝利があり、記念競輪も3場所連続で優勝したり勢いは誰にも負けない気がしていました。
 しかし、この年は記念競輪で稼いだものの、何故か特別競輪の決勝戦には一度も乗ることが出来ませんでした。マフラーをいつになっても購入出来ずに気持ちはモヤモヤしていました。そんな時に限って良いマフラーの出品があるものです。そのマフラーは「ケーニッヒ」というメーカーで片方に何と3本ずつ両方で6本出しのイカツイマフラーでした!派手好きで目立ちたがり屋の私は出品者にすぐ連絡をとりました。その方は横浜にお住まいという事で、すぐに現金を持って車を走らせたのですが、競輪の成績が私的には全く納得いっていませんでしたので、自分に対して(罪悪感)があり車を走らせている最中も自分の中で「こんな思いで購入していいのか?」という思いとの葛藤がありました。そんなことを考え自分の気持ちに整理を付けながら向かっていると、あっという間に横浜に着いてしまいました。金額はほとんど新品同様でしたので、100万円と言われました。私からすると直ぐに現物があるという魅力が勝り買うことにしたのですが、それでも少し間を置いて買うべきか?我慢するべきか?と考えていると売主さんが「わざわざ遠いところから来てくれたので90万で良いですよ!」と10万円も値を下げてくれたのです。交渉はワンクッション間を置くことも掛け合いの中では必要!という事もこの時に分かりました!90万円?即決!です!念願のケーニッヒマフラーを助手席に置いて赤信号の度になで回して帰ってきました。そして早速フェラーリのディーラーであるコーンズに連絡をして、マフラーの持ち込み取り付けの予約を入れたのですが、その当時、社外品の取り付けを受けてもらえず、購入したショップに頼んだ経験もありました!そして念願のマフラーを取り付けてショップからの帰り道!聞いたことの無いようなとてつもない爆音と言うか、F1マシンの様なサウンド!あんなに興奮した瞬間は今でも三本の指に入ります!それほど感激したし、レース以外でもアドレナリンが出ることも感じました!トンネルを走ると耳を塞ぎたくなるような超爆音!でも最高!忘れられません。フェラーリ512TRにはそんな刺激も貰いながら2年間乗りました。同県の後輩の金子真也選手もフェラーリテスタロッサを所有していたので一緒に軽井沢などにもツーリングに行ったりと思い出の一台です!
 しかし、その時は自宅も建設中でしたのでガレージが一時的になかったのです!雨天未使用で走行2,000キロの新車同様のフェラーリの雨ざらしなど車好きの私からすると考えられない事です!悩んでいると運良くガレージが見つかったのです。それはたまたまレースに行った時に同県の先輩・矢端誠二選手が安中市に住んでおり当時、先輩もフェラーリF355のイエローを新車で購入。それに合わせてアパートの建物内にビルトインガレージが併設されており、自宅が完成するまでそこを使っていいよ!という事になりました。矢端選手も夢を頂いた先輩の一人でした!他にベンツでブルーブラックの560SEC・AMGも乗っていましたからかっこいい先輩のイメージがあります。当時は全てがそんな時代でしたから先輩に魅せられながら私の車遍歴が輪をかけて加速していくのです!

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