不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第129回 競輪の神様に認められた  2021年12月5日

 第46回競輪祭・決勝戦当日、私はいつもより早く目を覚ましました。朝食はプロテイン一杯飲み、誰もいないはずの検車場に向かいました。まだ時間的にも誰も宿舎からメディアドームには行くはずのない時間!すると検車場から何やらカチン!カチン!と音が聞こえて来るのです。ん?私は耳を澄ましながら検車場に向かうと、既に自分のレーサーを整備する神山雄一郎選手がいたのです!私はこの風景を以前に何度か目にすることがありましたが、もしかすると神山雄一郎選手からしたら日常なのかもしれない、、、。自転車に対する想い、レースに対する想い、勝負に対する想いが我々とは桁が違うように思えました。しかもその眼差しは少年が目を輝かせているかのようにさえ見えるのです。そんな天才にして努力も重ねた競輪界の絶対の王者・神山選手が私の前で走るのですから、このレースは絶対に良い援護をしてラインから一人でも多く確定板に乗らなければ一生後悔する!しかも一番強い選手の2番手は競輪のレースをする上で一番チャンスのある位置!G1初制覇のチャンス!あのG1の決勝戦に乗れた安堵な想いと湧き上がる緊張感は、今思うと誰もが経験出来ない貴重な経験をさせてもらったように思います。
 レースは前を取った岐阜ライン加藤慎平選手ー山田裕仁選手ー山口幸二選手。中団には単騎戦の内林久徳選手と佐藤慎太郎選手。後方に私達、関東ライン神山雄一郎選手ー後閑信一ー川口満宏選手。そして最後方に関東ラインに乗る形で単騎戦の望月永悟選手が続きます。残り2周の赤板で私達関東ラインが上昇して一番前の岐阜ラインを押さえます。残り一周半で関東ラインが先頭、岐阜ラインが引きはじめました。その動きを見て単騎戦の佐藤慎太郎選手が切り替え、内林久徳選手も前に切り替えようとしましたが、山田裕仁選手に阻まれ接触落車!走っている私は落車の異音と、お客さんのざわめきで誰かが後方で落車したことを感じとりました。その瞬間、先行態勢に入った神山雄一郎選手の後位、私の横に単騎戦で切り替えた佐藤慎太郎選手が追い上げ競り込んできたのです!最終HSで私は押し込まれましたが、1コーナーで返す刀で競り飛ばし神山選手の後位を死守!3番手の川口選手も凌いで最終BSでは完全に関東勢3人が先頭で通過しました。するとすかさず加藤慎平選手率いる岐阜ラインが捲ってきました!私は何度も後ろを確認していましたが、加藤慎平選手の捲りのキレが良く、振り向いた時には私の真後ろまで来ていたのです。「ヤバイ!」と思った瞬間、関東ラインの3番手の川口満宏選手が捲ってくる加藤慎平選手に対して体当たり(ブロック)をして加藤慎平選手の勢いを止めたのです。最終3コーナー、私は加藤慎平選手を引きつけるだけ引き付けて最終4コーナーで加藤慎平選手に合わせてスパートしたのです。
 いつもならば先行選手をどこまで残せるか?なのですが、神山選手の先行のペースは「後閑頑張れ!」の踏み上げのペースに私は感じたのです。神山選手の頑張りを無駄に出来ない!私は最後の直線、目一杯踏み上げて回転を上げたのです。私はこの瞬間、「やっと神山選手は私を認めてくれたのかもしれない」その先には私が取りたくても中々取れなかったタイトル!が以外にもス~っと手中に納める事が出来たのです!正に競輪の神様に認められた様な気持ちでした。敢闘門に戻ると神山選手に深々とお辞儀をして、手を差し伸べてくれた神山選手に両手で握手をした事もハッキリと覚えています。ファンの皆様にも大声援を頂き「頑張ってきて良かった!」と思えた瞬間でした。この瞬間から私はタイトルを取る瞬間の快感の虜となり「またあの景色が見たい!」と思うようになりました。ここからさらにタイトルホルダーとなった後閑信一の栄光と挫折、光と影、の波瀾万丈な競輪選手人生が始まったのです。

※後閑信一さんの「不撓不屈(ボスの自転車人生)」は、今回が最終回となります。長きにわたってのご愛読、誠にありがとうございました。【プロスポーツ編集部】

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