不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第62回 楽しめなかったクラブ活動  2019年6月1日

 今、競輪学校生活をふと振り返ると、色々な事が体験出来た10ケ月でした。自衛隊の方から行動訓練を受ける事も経験しました。自衛隊の皆さんの行動訓練はビシッと足並みが揃っていて実に見事でした。そしてクラブ活動などもありました。書道部や茶道部、吹奏楽部やゴルフ部等、他にもたくさんありました。1番人気はゴルフ部で私も希望を出しましたが、当時の65回生は97人!応募多数で抽選となり、私は外れて顔に似合わず吹奏楽部に入りました。吹奏楽部には色んな楽器が揃っています。太鼓やシンバル、サックスやフルート、トランペットにトロンボーン。正直どれもやる気になりません。選びきれずにいたら、体が大きい事もあり何とバスチューバという重くてとてつもない大きさのラッバを持たされたのです!マウスピースも大きく、上手く音も出ません。吹き方も分からず音符も読めないまま、時は進んで行きました。今思うと、しっかりと分からない事は聞いて理解をして吹けていたなら、もう少し楽しくストレス無くクラブ活動ができたのではないか?その時を楽しめなかった自分に後悔をしているところです。
 競輪学校生活も後半に入ると、気が遠くなる程、厚かったカレンダーも薄くなり、毎日塗りつぶしていたカレンダーの数字も卒業まで現実味を感じる様になって来ます。畳1畳分の自分の居室にはS級急バンツ飾ってあり、その横には彼女(現在の妻)が書いてくれた(忍耐!)と書かれた小さな額、そして天井にはフエラーリ・テスタロッサやメルセデス・ベンツ560SECケーニッヒのポスターが貼ってあり、デビューしてからの夢がたくさん詰まっていました。競輪選手という職業は、努力次第で高収入な魅力ある職業。私は競輪学校当時、日本はバブル真っ只中!正直楽しみしかありませんでした!

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