不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第64回 100万円を目指し練習に没頭  2019年6月15日

 卒業記念が終わり、卒業式も無事に終了!長かった10ケ月も終わってみれば、なんだか良い思い出だったかな?皆んなで帽子を空へ投げて競輪学校生活も全て終わりました。迎えに来た両親と彼女(今も一緒)とその両親と修善寺の駅から群馬県に帰りました。帰りは彼女と手をずっと握っていた記憶があります。これからはずっと一緒だ!これからプロで何億円も稼げる!夢と希望しかありませんでした。
 当時のデビュー戦は新人リーグといって、2ケ月の間、同期生だけで走り、成績上位者から上はA級1班(5人)から順番にランクは下がり、A4班まで振り分けられます。私のデビュー戦は小倉競輪場でした。成績は731着と優勝でスタートです!確か賞金は手取りで21万円でした。そんな大金を手にした事がなかった自分は「こんなに稼げるんだ!」。しかも月に2、3本の斡旋が、毎月営業をしなくても仕事がくるのですから、なんと夢の様な仕事なんだ!と当時20歳の自分は若くして大金を持つ様になりました。結果は、私は5開催走って3回優勝!同期の中では第3位で上位5人までに入り、若鷲賞を受賞しました。まずは第一の目標を通過です。
 競輪界は私達の世代から徐々に新しい企画レースを試みようと、第1回ルーキーチャンビオン・レースが始まりました。その優勝賞金は1レース走るだけでなっなんと100万円!新人リーグのデビュー戦の賞金ですら凄い!と思っていたのに100万円は当時の私には興奮する金額で、優勝する為に毎日毎日、朝から晩まで練習をした覚えがあります。目指せ100万円と群馬県の赤城山や榛名山の登り坂を「100万!100万!」と思いながら登った覚えもあります。
 最後の覚えもあります→そして迎えた第1回ルーキーチャンピオンレースが埼玉県・西武園競輪場で行われました。西武園競輪場は当時はまだ500バンクでした。新人リーグの時のレーサーバンツは黒地に黄色い2本線でした。ルーキーチャンピオンに走る選手には黒地で横に白い太いラインの中には赤文字でROOKIEと書いてあり、ステイタスを感じました!レースは私、後閑信一と同期でNo.1の山本真矢選手。賀代茂雄選手に海田和裕選手。鈴木和雄選手に渡会宏和選手。木村泰丈選手に高田誠選手。そして西本章秀選手といったメンバー。優勝したのは三重県・海田和裕選手!私は4着とまたしても涙を飲む事になりました。同期でNo.1山本真矢選手も6着に沈み、同じ同期生のレースにもかかわらず、プロとしての競輪競走では学校の時とは何かが違う甘くない雰囲気も感じたルーキーチャンピオンレースとなりました。

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