不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第69回 まずは記念回りを目指す  2019年7月22日

 S級に上がり順調に稼ぎ始めると、欲しいものは全て手に入れたくなり、毎日が夢のようでした。練習も楽しくて、朝は利根川河川敷や、高崎少林山を車誘導から始まり、午前中は街道練習、午後は前橋競輪場でバンク練習、夜はローラー練習が楽しくて仕方ありませんでした。だって呼吸が苦しくなればなるほど身体が強くなる感覚が付き、レースに行くと3連勝とまではいかないけれど簡単に勝てる!内心、「けっこうチョロいな!」と思っていました。当時は「記念回り、という言葉があり、成績が良く人気選手は、現在のS級S班の様に(記念G3)と(特別競輪G1)しか走らない選手もいました。そうなってくると、一流選手の証しである事と賞金もグッと稼げる!自分も早くそうゆう人気のある選手になりたい!と先ずはその集団に入る事を第1の目標に頑張っていました。
 特別競輪の優勝は、記念回りになってしっかりと基礎と信頼を築いてから!と考えていました。当時は現在とは全く違い、層の厚い簡単には這い上がれないシステムになっていたのです。そういった高い壁を乗り越えて勝ち取って来たからこそ、一度上のクラスに昇級した選手は何十年と活躍が出来てなかなか下には落ちては来なかったのだと思います。私は21才でS級に上がってからは準記念(Fl)初戦の弥彦116着、松戸151着でした。そしてS級3場所目は自身初の記念競輪の斡旋です!しかもA級でデビュー戦優勝した得意の取手バンク!当時は(参加申し込み書)という往復ハガキが届き、そこへ(参加)(不参加)に○印を付け、半分に切って日本自転車振興会(現在のJKA)に送り返すシステム。その時代は今の様にSNSもインターネットも携帯電話も普及していませんでしたから、出場メンバーは分かりません!
 余談ですが、追加や補充は当時は電報が家に来ましたからね!そんな古き時代の中で出場メンバーを知る事が出来たのは、この「日刊プロスポーツ」さんでした!あとは、懐かしの「月刊競輪」という雑誌です。テレビ関係では週末に東京12チャンネル(今のテレ東)さんで放送される「サイクルにっぽん」のエンディングで軽く次回の記念競輪での主な出場メンバー紹介コーナーを見るしか、早くメンバーを知る事は出来ませんでした。でもあの時の情報の少ない不安な緊張感の方が私は好きでしたし、現在よりも力を蓄えられた様に感じます。次回は自身初の記念開催。「衝撃の!」取手記念競輪から書きたいと思います。

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