不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第72回 21歳は練習漬けの日々  2019年8月24日

 我が同期65回生はデビューと同時にトップクラスへと駆け上がりました。その筆頭はまず在校2位の福岡県・吉岡稔真選手です。何が凄いって僅か21歳で日本選手権競輪(ダービー)G1を優勝してしまうのですから…。しかも、あの当時のスーパースター・世界選手権V10を達成した超一流の中野浩一選手を後ろに付けて先行しても抜かせない脚力を見せつけられたら、もう私の手の届かない所まで行ってしまった人間なのだ!と半分、いや殆ど認めてしまいそうな雰囲気でした。
 その現実を受け止められない私は更に練習量を増やしました。1日5回練習を毎日続けました。朝は師匠の新谷隆広選手に提案して頂いた、朝からクルマ誘導で徹底的にハイスピードからまくる練習を何度も何度もやりました。当然、まくりきった後も500メートル以上はもがいていたので、朝からハードな練習でした。新谷隆広師匠の良かった所は、私と一緒に自転車に乗って肌を合わせて頂けた事です。「憧れの新谷隆広選手と一緒に練習出来ている緊張感」と、「師匠より早く車から離れられない」という気持ちと、「横で走っている師匠のフォームや力の使い方を少しでも吸収したい」というたくさんの思いがあり、毎日朝から眼を輝かせていました。因みにその当時、毎朝車を運転して誘導して下さったのは、現在の群馬県・木暮安由選手の師匠であるOBの須田知光さんでした。須田さんはその当時のG1にも出場した名選手です。これぞ競輪選手という気迫や技を教えてくれました。現在の木暮選手の闘争心溢れる走りを見れば分かりますよね!
 そんな気合いの入った朝練習を終えて自宅に一旦戻り、軽く食事をした後は、約100キロの街道練習に行きます。皆んなで行く時は途中一度休憩を入れますが、私一人の時はノンストップで走ります。当時の俺には休憩など要らないくらい気合いと体力がありました。そして2時間半から3時間で100キロを走ってくると、時間はだいたい午後1時。昼メシを食べて午後3時から前橋競輪場へ入ります。当時はグリーンドームではなく、今ではグリーンドーム横の駐車場と公園がある場所にありました。暑い日も寒い日も雨の日も毎日入りました。誰かいる時は一緒に練習をさせてもらい、一人の時はまず周回練習を100周してからもがき練習をするのがいつものメニュー。レースで負けて悔しい時は200周とか走ったりしていました。タ方暗くなってからは前橋市のトレーニングセンターでサーキットトレーニングをして自宅に帰り、固まった体を明日に向けて緩める為に軽いギヤで高回転で回した後に、ゆっくり1日のクールダウン。そんな毎日を過ごしていました。
 当時21歳、その若さでも危機感を抱き練習だけに打ち込めたのは同期・吉岡稔真選手の出現!!完全に突き放された自分への悔しさと、もどかしさにしっかりと向き合い、日々を過ごす事が出来たからこそ、しっかりとした競輪選手としての土台が出来て来たのだと思います。そしてこの後、更なる同期の出現が私を更なる意識の高みへと引き上げてくれる事になるのです。

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