不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第80回 2カ月半の入院で体力ガタ落ち  2019年11月14日

 追走義務違反の斡旋停止期間中にまさかの痔瘻とダブルパンチを食らい、22歳にして天国と地獄を味わいました。全くの無収入と、痔瘻で傷口は開きっぱなしの入院生活は2ケ月半になりました。積み重なる月々の高額なローン!税金も支払わなければなりません。退院する時も病院では一番値段の高い一人部屋に居た為、入院費は膨れ上がりました。医療保険の請求は退院してから用紙を書き、主治医の先生に診断書を書いてもらってから審査が入るので、入院費がおりるまでは1ケ月くらいはかかったのを覚えています。
 お尻の傷は治ったが、サドルに座ると痛くて自転車に跨がれない。これは致命傷「ヤバイ」と感じました。運動はガ二股で歩く事しか出来ず、87キロだった体重が99キロまで太ってしまい、少し動くだけでも息切れが凄い。走れなくても体を作ってあれば大丈夫だが、入院生活で約半年の斡旋停止も残り僅か3ケ月を切っている状況で、歩行しか出来ない現実と、毎月襲いかかる高額な住宅ローンと容赦ない税金!まずはこの危機をどうやって切りぬけようか考えました。
 結果、私は市役所に行き、仕事の斡旋が止まり、痔瘻の手術をして暫くは収入の見込みがない事を相談に行きました。すると色々と親切に相談に乗ってくれたのです。今後の収入の見込みや、それに対する予定納税の減額申請の仕方など。これでだいぶ楽になった事を覚えています。そしてこんな時になんですが、子供の頃、小・中・高と色白がコンプレックスだった私は、デビューしてお金を稼ぐようなってから当時は珍しかった日焼けサロンへ通い、常にコンガリ焼けた状態でいました。しかし、痔瘻の入院で金欠状態となり、日焼けサロンにさえも全く行けなくなってしまったのです。体は太り色白に戻ってしまい、斡旋停止も残り3ケ月を切ってしまった。このままでは復帰するのも更に遅れてしまい、以前の様な走りが出来ない可能性も?と危機感は募るばかりです。
 まずは基礎体力から戻したのですが、その内容は幼い頃からの必殺技「車押し!」です。妻にエンジンをかけずに車に乗ってもらい、ギヤを「N」にしてもらいます。その車を私が後ろから押すのですが、3ケ月間全く運動をしなかった私には非常に辛く、心肺機能もショックな程に低下してしまっていました。最初は10メートルも押せませんでした。「車押し!」は手から胴体、そして脚まで全てが繋がるので、私には手っ取り早いトレーニングでした。このトレーニングはこの先、何十年も取り入れて行く事になったのです。
 このまま終わるわけには行かない!家族の為と自分の為!毎日このトレーニングと筋肉痛との繰り返しが続きました。次第に体は出来上がり、それに伴い痔瘻の傷も癒えて来ました。自転車に乗れたのは残り1ケ月くらいだったと思います。自転車に乗れる「喜び」や「感謝」で、毎日寝る暇も惜しんで自転車に乗っていました。私の脚の作り方は、まず赤城山から榛名山、とにかく長距離をじっくりと乗り込み、その後にローラーで足首や体の動きを柔らかくしてからスピード練習に移る!これの繰り返しの日々が続きました。

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