不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第90回 決勝に65期3人が進出  2020年2月24日

 全日本選抜競輪の準決勝戦。私は青森の高谷雅彦選手を目標にマークしました。当時の高谷選手は先行すると航続距離が長く抜群な粘り脚があり、捲りも強く青森競輪場のバンクレコードをギヤ3・57(50×14)でも10秒6のタイムで塗り替える程でした!その高谷選手をマークさせてもえるので、決勝戦には何だか行けそうな気がしていました。後ろを固めてくれるのは同県の大先輩・矢端誠二選手。
 レースは3分戦で三宅伸選手―児玉広志選手―西川親幸選手。そして高谷雅彦選手―私―矢端誠二選手。もうひとつのラインは伊藤保文選手―金田健一郎選手―山口幸二選手です。先行したのは近畿ラインの伊藤保文選手!当時の伊藤保文選手は腰がシッカリとしたパワー充分なタイプ。トルクある先行でグングンかかって行きます!私の目標にした高谷雅彦選手は中団の4番手。三宅伸選手ラインは7番手以降で長い宇都宮の500バンクBSを通過しました。高谷選手の後ろにいた私は、この時点でほぼ優勝戦進出を確信していました。乗りに乗っている高谷選手は必ず力を出し切る選手!高谷選手が外に踏んでそのスピードを貰ってから直線中を割ればいい、、。これは優秀競走で大先輩達と関東3車で競合いの場面を乗り切り、精神的にひと回り強くなった自分になれたから、勝負の時の冷静さが急激に芽生えてきたのだと思います。なので勇気を持って行動力に変えて行けば【一瞬にして化ける】んだ!という事も自らの体験で学びました。そして最終4コーナーは粘り込む伊藤保文選手の3番手から早めに山口幸二選手が金田健一郎選手の内側を突いて抜け出しそうな雰囲気。それを見た私は山口幸二選手を目掛けて更に中を割る。1着争いは「オレか?山口幸二さんか?」と思っていたら、なんと最終2センターでは後方8番手だった黒の2番車・児玉広志選手が大外を弾丸の如く通過して行きました。これには場内も私達選手達も驚きました。結果、1着は児玉広志選手。2着は山口幸二選手。3着に私が入り、決勝戦進出を果たしました。
 そして私の次のレース、神山雄一郎選手は私が心配する事もありません。当時、熊本の大型スーパールーキーの横田努選手の先行を捲りきると後続を突き離して1着ゴール!決勝進出を決めました。そして最終レースでは我が65期の吉岡稔真選手と海田和裕選手の対戦が非常に気になっていました。レースは前を取った吉岡稔真選手に対して、海田和裕選手が押さえて先行。そのまま逃げ切っての1着。2着には海田マークの濱口高彰選手。そして5番手から捲り追い込んで吉岡稔真選手が3着となりました。
 あの吉岡稔真選手から逃げ切り勝ちの海田和裕選手の強さには驚かされました。そして決勝戦には65期の同期3人が乗り合わせ、私はまたマーク選手として勉強になる体験をする事になるのです。

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