不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第92回 手応え掴んだ寛仁親王牌  2020年3月15日

 全日本選抜競輪G1決勝で我が65期同期の吉岡稔真、海田和裕、そして私の3人で走る事が出来ました!私自身の走りには課題も多く納得が出来ませんでしたが、その分やる気も湧きました。そして2ヶ月後の10月には地元前橋で寛仁親王牌も控えていましたから、私のモチベーションは高ぶるばかりでした。
 そんな中、朗報が入りました!なんとバブル時に2億円だった私の自宅が売れそうだ!とある不動産屋から連絡が入りました。いろんな不動産屋にお願いするも、そんな高額な物件売れそうにない!そう言われる中、ある若者の不動産屋がその当時としてはあまり見なかったオープンハウス的な試みをしたのです。来場者には携帯電話を漏れなくプレゼント!と凄い企画をしていました(笑)。でも、それが功を奏して間もなく買い手が付いたのです。私はその若者不動産屋の思考に興味を感じて、その後も食事をしたりお付き合いをしました。何故なら競輪とは【人生の縮図】だと思うと、その若者不動産屋の【発想力と行動力】は人よりも1つ抜け出す大切な要素だと思ったからです。仕事は違えど同じだと感じました。そして別の業種の人と話をしていると、気持ちもリフレッシュされ新たな閃きなどが生まれてきたのです。
 私は2億円の家が売れて身軽になると【家は三軒建てて理想の家になる!】と言いますので、練習の合間に住宅展示場に見学によく行ったものです。しかし、皆んなと同じ物を好まない私は、住宅展示場では満足感に欠けました。車もベンツS600もディーラーで販売し始めて見慣れて来たので、次は【フェラーリが家の中に入る家を建てよう!】と更に私の物欲は増すばかりでした。
 その物欲と比例して成績は益々上がって行きました。調子の良さをキープして全日本選抜競輪の次のG1第5回寛仁親王牌でも初日から1着・1着で準決勝も2着と地元・前橋で決勝進出を果たしました。決勝戦のメンバーは関東ラインはアトランタオリンピックで活躍した十文字貴信選手に神山雄一郎選手のアトランタライン!その3番手に付かせてもらいました。別のラインは同期、吉岡稔真選手に同県の紫原政文選手そして長崎の豊岡弘選手の九州3車のラインです。小橋正義選手は何と関東ライン神山雄一郎選手にジカで競るレースとなり、児玉広志選手はその後ろとなりました。山口幸二選手は単騎の走行となり、まずは関東ラインを追走していました。3025メートル。バンク9周で行われました。前を取る九州ラインに対して、関東ラインはその後ろ、外側には小橋正義選手―児玉広志選手が張り付いています。そのままの形態で大歓声の中、周回を重ねていきます。当時はお客様の数もグリーンドームのホームスタンドはいっぱいの状態でしたから、競輪界もまだまだ盛り上がっていました。レースは緊張感の中で進み、残り3周でレースは動きました。十文字貴信選手の番手をマークしていた神山雄一郎選手がインコースを嫌い、一旦後方へ引いてアウトコースへ自転車を持ち出したのです。そして十文字貴信選手が神山雄一郎選手がアウトコースになった事を確認して残り2周の赤板を迎えました。そして味方の私もビックリする程のスローペースに落としました。先頭の吉岡稔真選手は後方に引いた瞬間、このレースでの決着は訪れました!世界のスタンディング力を持つ十文字貴信選手はアトランタ五輪1000メートルTTで日本人初となる銅メダリスト!彼のダッシュ力が唸りを上げました!神山雄一郎選手はピタリとマーク!踏み出しで立ち遅れた小橋正義選手は、神山雄一郎選手と体を一瞬でも合わせることが出来ず、一車遅れて3番手に収まる形になりました。どうやってもあの強烈な踏み出しには付いて行けない。ダッシュ力のない私は小橋正義選手の後ろ4番手となってしまいました!
 地元でかっこ悪いレースをする事は出来ない、、。と思った瞬間、、アドレナリンが全開になったのです。そして【ゾーン】に入る事が出来ました。極限に集中出来たのだと思います。突然焦りから冷静な自分に切り替わり、あの小回りで一瞬の遅れが命取りになる前橋バンクでも、一瞬の時空が私には長く感じられ「ひとまず小橋正義選手に追いかけてもらってスピードを貰おう!そこから勝負だ!」とあの打鐘時の一瞬で感じたのです。読み通り小橋正義選手は強い!さすがだと思いました。「よーし!まだ行ける!」と小橋正義選手の後ろでわたしは脚を回復しながら力を溜める事が出来たのです。そして勝負の最終2センター。十文字貴信選手の後ろから神山雄一郎選手が番手まくり。追いかけた小橋正義選手の自転車の伸びが止まりました。私もそれに合わせて最終2センターで神山雄一郎選手を目掛けて踏み出し、最後の追い込みにかけました!すると自分の思っていた以上に自転車が進み、神山雄一郎選手が私の視界にグッと近付いて来たのです!当時のグリーンドーム前橋ではゴール時の瞬間スピードを計測して画面表示されるシステムになっていました。名解説の鈴木保巳さんがよくそのスピードを引き合いに出して説得力のある解説をして下さっていた事を思い出します。見ていて新鮮に感じました。優勝した神山雄一郎選手は62.3キロに対して私は67.5キロ!2着とはいえ私は手応えを掴みました。
 それは何故か?対応力です!実をいうと、十文字貴信選手のあのレースは私にまで話が回って来なかったのです。アトランタラインの2人の作戦か、直前の作戦変更だったのだと思います。正直、終わってから話を聞いて少し寂しい気にもなりましたが、、、。しかし、だからこそあの一瞬の、あの自分の対応力に自信が付いた事は間違いなく、後の私の財産となり成長へと繋がって行ったのだと思います。そして神山―後閑の関東ラインに新たに新鋭の十文字貴信という頼もしい選手の出現により、私は更にマーク屋として成長させて貰える事になって行くのです!

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