疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第11回 ニックネームは  2016年2月26日

 やはりS級に入るとそんな簡単に勝てるわけもなく、急激な上昇を感じ取れることもなくレースの中で揉まれながら徐々に強くなっていった印象でした。経験値がモノを言うというやつですね。
 決勝戦に乗れたり乗れなかったりを繰り返しながら記念優勝を達成出来たのは24才の時でした。あの滝澤さんと一緒に決勝戦を走れて、しかも滝澤さんの先行を捲って優勝!先輩に先行させて若僧が捲りに回るとはなんという選手だ(笑)でもホント嬉しかったなぁ。記念優勝はもちろんのこと、あの滝澤さんを捲って優勝したってことが嬉しかった。初優勝だから記憶に残るレースが本当に記憶に残しておきたいレースになりました。レース後の事、さすが先生と呼ばれる人は違った。「おめでとう」と言ってくださったのだ。本当は、上がってきて間もない新人に捲られ、しかも優勝までされては気分は悪かったはずなのに。なかなか真似出来ることじゃないなぁーと、もちろんその時は気づきませんでしたがね。
 記念優勝出来たということがかなりの自信になってそれから何度か記念を優勝出来る選手へと成長していきました。しかし、記念は優勝出来るのに特別は勝てない。準決勝で先行するも粘れず4着等、優勝どころか決勝戦にも乗れない開催が続きました。そんな私に与えられた称号
 “無冠の帝王”
 帝王ってなんだかカッコいいけど無冠が付くと気分が良いものじゃないですね。そんな言われ方してたけど、本人はまったく気にしてなかったんです。それは、特別競輪優勝を出来るまでの能力が無いことぐらい本人が一番わかってましたから。昔の記念は、今の開催と違い前節、後節の開催があり、優勝候補と呼ばれる人達が分散して参加してました。そんな開催で優勝出来てもトップ選手が全て集まる特別競輪を優勝するには、もうワンランク上の力を付けなきゃいけないとずーっと思い続けていたから焦りは無かった。
 業界を盛り上げるには話題が必要だとは思います。特に売り出し中の新人は、周りに持ち上げられたり騒がれたりします。そのわりには結果を出せずに焦ってしまって、結局潰れていってしまった選手なんて今まで何人見たことか。冷静な分析力は必要だと思います。選手を続けていれば一瞬輝ける時は来るかもしれない。だけどそれが本物かどうか、たまたまラッキーだった時期じゃないのか?それを冷静に判断出来なきゃいつの間にか名前を聞かない選手になってしまうので気をつけてほしい。

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