疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第20回 おそるべし業界③  2016年5月2日

 今年もオリンピックに向けて選手が頑張ってると思いますが、私は、(2000年)シドニーオリンピックの選考会で恐ろしい経験をすることになりました。
 その年は、全プロ大会のケイリンで優勝することが出来、調子もまぁまぁの年でした。全プロ優勝してから数日後に、オリンピック選考会がありますから参加しますか?という電話がありました。私は、ナショナルチームに入ってるわけでもないし、オリンピックに出たいとかそんなに重くは考えず、仕事も来てないしどうせ暇だから参加してみるか、ぐらいの軽い気持ちで参加を決めました。そしたら数日後、その当時の支部長がわざわざ私に連絡をくれて、「俺は何があってもお前の味方は出来ないからな」。はて?なんのこと? それは参加してみて初めて理解することが出来ました。
 オリンピック選考会の予選競走、2着通過し決勝戦進出です。それが何が何が、意味もわからず降着判定。あ?、そういうこと。その時中野浩一さんだけでした、「そんな見苦しいことするな」と審判に言ってくれたのは。ようは、私に勝たれては困るわけなんです。そんな選考会なら初めからやらなきゃいいじゃない(怒)オリンピックはナショナルチームしか行かせません!でいいじゃない。形だけの選考会なんて一生懸命やってる選手をバカにしてます。しかもその選考会にはかなりのマスコミの方が集まってたのに誰一人アレはおかしいと言える人がいなかった。なんですかこの体制は?選考会、JCFともに不信感を持たれても仕方ないことしてますよね。それよりも、そんなことまでしなきゃ日本の代表になれない選手レベルならオリンピックに出ても通用しないのは想像出来ますよね。
 その後、そんな汚い団体に自分は協力するものか(怒)と思ってたんですが、それがまた次はパワハラ的攻めで、『ナショナル入ってなきゃ国際試合に出さない』ときました。世界のレベルは非常に高く、現に33の日本レコードも簡単に昨年塗り替えられましたし、京王閣のバンクレコードも塗り替えられました。私は、33の日本レコードは日本人ならなかなか塗り替えることが出来ないと思ってますし、それが外人の記録として残されるのが残念でしかたないです(註・一昨年、昨年、ボティシャー、パーキンスが更新するまで33バンクの日本レコードも京王閣のバンクレコードも山田氏が保持していた)。
 そんな世界のレベルに近づくには、世界へ行って揉まれてくるのが一番の近道になると思い世界への挑戦に目を向けました。あのハイレベルな選手と対等に戦えるようになれれば日本の競輪では絶対負けないレベルまで上げることが出来ると考えたからナショナルチームに入って活動しようと思ったわけです。

ページトップへ