疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第25回 引退後  2016年6月6日

 選手の引退とは、登録抹消手続きの書類にサインして終わり。あっさりした終わりでした。
 もう朝起きて練習しなくていいんだ。雨、雪の中、自転車乗らなくていいんだ。自由に時間使えるなぁ。辞めたばかりの頃はこんなこと思って喜んでた。
 そう思ってる頃、山幸(山口幸二)がやって来て、「どうするの?」どうするって何も考えてなかったから「何も…」とこたえるしかなかった。そう返事すると山幸が「今の俺があるのは、お前のおかげだと思ってる。俺に出来ることがあったら力を貸すから言ってくれ」と。カッコよかったなぁ。たとえこの言葉が本心じゃなかったとしてもなかなか言える言葉じゃないです。この時私は『あぁ選手として自分がやってきたことは間違ってなかったんだ』と思える瞬間でした。
 引退後の毎日の生活は、早朝6時に子供達を駅に送迎。午前中は同級生の経営する喫茶店でモーニング(岐阜はドリンクの値段でパンや卵、サラダ等が付いてくる)朝食をとります。そして帰宅してテレビ観てる毎日。テレビの番組も、はぐれ刑事から暴れん坊将軍、そしてひるおびへと流れも決まってる。ランチはコンビニかどこかで済ませて昼は終わる。夕方は、犬の散歩して競輪ダイジェスト観てるかな。毎日がこんな感じで時間が過ぎていく。当然趣味は継続中で、土、日は競馬場で、北海道にも年に何度か足を運んでる。そんなダラけた生活を送ってる人としてクズでしたね。
 そんなある日、また山幸と会う機会があった。「お前何してるの?そんなことでいいの?今のその生活があるのも競輪でお世話になったおかげって忘れるなよ。少しは恩返ししようとは思わないのか?」少し怒り口調だった気がするなぁ(苦笑)そうか、自分に出来ることは限られてるかもしれないけど微力ながら頑張ろうという気持ちになった。そうしてこの業界に戻ってくることにした。関係者に口利きしてくれて戻してくれた山幸の顔を潰さないように頑張るだけです。
 私にはギャンブルに対する持論があります。競輪解説をしてる人が言うことじゃないと思いますが競輪当たるなら自分で大口投票して儲けます。もちろん持論だから賛否あって良いと思いますが、『ギャンブルは買った時点で75%しか返ってこないんだもん儲かるわけがない』もちろん儲かってる人もいると思いますが、映画を観る、舞台を観る、全てが有料なんです。だからそのレース観戦にイクラ払うかだと思ってる。それに加えてお金が返ってくるなんてギャンブルは最高です。

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