短期集中連載『ダービー王』第2回 ~中川 誠一郎(熊本・85期)~

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中川誠一郎
4年前の静岡ダービーを制した中川誠一郎

 ~競輪の灯は決して消さない~。新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため、開催中止という苦渋の決断に至った「第74回日本選手権競輪(G1)」。シリーズの2日目が行われる予定だった5月6日にお届けする短期集中連載『ダービー王』の第2弾は、中川誠一郎(熊本・85期)だ。思い出の舞台は、くしくも今回中止になった静岡競輪場。開催期間がゴールデンウイークに移行された16年、その年2度目となるダービーをアッと驚く9番手まくりで制し、もっとも権威のあるG1のタイトルを手にした。

竹内祥郎記者

2020年5月6日 01時38分

震災を乗り越えて初戴冠

 16年4月14日からたび重なり、震度6、7の地震が熊本を襲った。当時、2度目の五輪出場のため、ナショナルチームに所属していた中川誠一郎は、トレーニングの拠点としていた静岡県の伊豆市からやっとのことで熊本にたどり着いた。そこからわずか10日ちょっと、万全といえるコンディションではないなかで、ダービーが行われる静岡競輪場に向かった。
 「あの時は熊本の地震があった。だから、(ダービーを)走って、(ファンに)無事だっていう報告をしようっていう気持ちでした」
 他のG1以上に厳しい予選からの勝ち上がりをオール2着でクリア。「準決が一番、5日間の中ではしっかり仕上がった感じがあった」と、日を追うごとに状態を上げて、自身2度目のG1ファイナルの舞台を迎えた。決勝は深谷知広、新田祐大による2分戦。単騎の中川は、周囲のアドバイスに心が動いたものの、最後は自分らしさを貫く腹を決めて一撃にかけた。
 「展開的には新田と深谷の2分戦みたいな感じだったんで、深谷の先行だろうと。そうなると(番手には吉田敏洋もいて)前々にいないと厳しいんじゃないかって、(周りには)言われました。でも、自分がやってきたことを信じて、カマシになるかまくりになるかは、わからないけど。1回は(仕掛けて)行こうと思ってました」
 新田に突っ張られた深谷が立て直すと、打鐘の3コーナーから再び反撃。9番手でワンチャンスをうかがっていた中川は、最終ホームから踏み込んだ。
 「新田が突っ張ったけど、深谷は巻き返すだろうから(深谷ラインに)乗っていこうと。ジャンでは、そこしかないと思っていた」
 自力に転じた吉田と内、外でまくり合戦になったが、中川のスピードが違っていた。直線ではセーフティーリード。後続をちぎってゴール線を駆け抜けた。
 「選手になったからには、グランプリに出たいっていうのがあった。そのためにはG1を獲るか、賞金でと思ってた。ナショナルチームにも入ってたし、オリンピックにも出ていた。だから力的には認められてたかもしれないけど、競輪になると結果もそんなに残してなかった。競技の方に競輪(の結果)がようやく追いついてきた感じでしたね」
 12年のロンドン、16年のリオデジャネイロと2大会連続での五輪出場。中川にとって、デビュー16年目、36歳でのG1初制覇は遅すぎた印象だ。その後も“のるかそるか”の一撃の魅力は衰えず、昨年は全日本選抜、高松宮記念杯を制して、通算3度のG1タイトルを獲得。全日本選抜では単騎の大ガマシでの逃げ切りで、周囲のド肝を抜いた。
 「(近況は)ピリッとしないところもあるけど、なんかと力と気持ちを奮い立たせていかないと。(新型コロナウイルス感染症の影響で)こういう状況ですけど、いまのところ熊本は(練習で)使えてる。(熊本競輪場の)再開は伸びそうだけど、そこまではっていう気持ちがある。地元でやれるように頑張りたい」
 地元、熊本競輪が再開されるその日まで。中川には使命がある。

竹内祥郎記者

2020年5月6日 01時38分

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