不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第105回 3年連続のGP出場が濃厚に  2020年6月29日

 ケイリンGP’97では失格という大失態を犯し幕を降ろしました。競輪界の大スター吉岡稔真選手を落車させてしまった上に、私がマークをしていた神山雄一郎選手の後ろも守る事ができず、神山=吉岡、神山=後閑そして吉岡=後閑など、吉岡選手と私絡みの車券を買って下さった競輪ファンの皆様へも多大なるご迷惑をかけてしまう結果を出してしまいましたが、私としては今の時代のようにSNSもない時代でしたから、何の謝罪も弁解も出来ない状況でした。弁解出来るとしたら中央の審議委員会に出す弁明書(レース直後に書きます)しかないので、謝罪の気持ちを中々世間に出すことは出来ませんでした。レース場では勿論のこと、プライベートの時もファンの方から直接お叱りを受ける事がもの凄く多かったです。レストランやスーパーどこに行っても「グランプリの金返せ!」と言われ、私は犯罪を犯した人の心理状態に近い感覚になったように重く受け止めていました。そのくらいファンの皆様は競輪を深く熱く愛してくれているのです。
 私はそれを十分に感じていましたから、「この罪を一生走りで返して行く!」そう心に決めて私の走りは変わって行ったのです。なので私が引退の時に「たくさんのファンの皆様にお褒めの言葉やお叱りの言葉で育てて頂いた」と言ったのはそういう思いで走って来たということなのです。落車で大怪我をしても何度でも這い上がり、どんなに苦しい展開でも絶対に最後まで諦めない。生き様を見せて来ました。「グランプリの金返せ!」は私にとっては「奮起!」の言霊としてしっかりと胸に刻み走ってきたつもりです。ファンの皆様は命の次に大切なお金に夢を乗せて私達の車券に投じてくれているわけですから、勝っても負けてもお客様が走りの内容に納得をして頂かないと次は競輪場に脚を運んでくれないかもしれない。大切なのは、競輪という仕事は「前払い」だと言うことなのです!普通は商品を見て納得をした上で購入するが、競輪は選手のまだ見えない走りに期待をして先に車券を購入するシステム!私は次の場所から何を言われてもしっかりと受け止め覚悟をして走りに集中しました。
 ビッグ戦線では1月の久留米競輪場で行われたG2共同通信社杯決勝2着とまずまずの1年の滑り出し、そして2月のG2ふるさとダービー豊橋、3月に西武園競輪場で行われたG1日本選手権では決勝戦には乗れませんでしたが、私の思いはただ1つ!「今年もグランプリに乗って昨年のお返しをしたい、汚名返上をしたい!」ただその必死な思いで毎日を送っていました。なので5月のG1大津琵琶湖競輪場で行われた高松宮記念杯競輪では、勝負をかけていました!そして決勝戦へ進出する事ができ、私にチャンスが訪れました。私と同県で高校時代から気心の知れている群馬県の後輩、金子真也選手が私の前で風を切ってくれ頑張ってくれると言うことで、これほど心強い味方はありませんでした!レースは金子真也選手の先行一車!私の後ろには神奈川県の高木隆弘選手がラインを固めてくれるという事で金子ー後閑ー高木と三車のラインとなりました。別線は山田裕仁選手ラインと強烈でしたが、2車でしたし基本捲りが主戦法。単騎のマーク選手の内林選手、東出選手は単騎での戦い、そうなると金子選手の後ろの私の位置は狙われやすい位置!前で待っているマーク陣に金子選手は飛びつかせないように一気に大外を仕掛けてくれたのです。そして最終BSで私は絶好の2番手で通過をしました。あとは山田裕仁選手の捲りだけをけん制すれば優勝だ!その時です、後方から「シュー!」っと、もの凄く鋭く風を切る音が聞こえたのです。山田裕仁選手の捲りが発動されました!そのスピードは想像以上でした。後ろを確認した時はまだ2車以上後ろだった、、。まだ大丈夫!そして3コーナーでもう一度振り返った時に私は崩れてしまったのです。なんと山田選手のスピードが予想以上に加速をしており並ばれてしまったのです。私はこのまま山田選手にのみ込まれてしまったら、後輩の金子真也選手の頑張りにも応える事が出来ないし、せっかくのチャンスを逃してしまう!私は焦りました。そしてその瞬間、私の悪い癖の力業で番手から捲って出て行ってしまったのです。そして山田選手と踏み合ってしまい脚を使ってしまったのです、、。今、思えばもっと冷静に引きつけて4コーナーで踏み出せば間違いなく高松宮記念杯は優勝していたと思います。結局、私の後ろをマークしていた高木隆弘選手が軽く優勝!改めて競輪の奥深さを感じました。
 そしてこの年もG3は3回か4回は優勝していましたからG1の優勝はないけれど賞金は8千万円近くにまでなりグランプリ出場権ボーダーまで今年もやってきたのです。これで’96・’97・’98と3年連続して賞金でのグランプリ出場が濃厚になってきたのです!G1を取ってグランプリに乗りたい!という思いもありましたが、賞金で乗るという事は1年間を通して成績を重ね上り詰めてきたという思いもあったので、まずは下積み的な観点からするとその次のステージで「G1タイトルを取ってグランプリへ!」が私の目標でしたから、まずは今年もグランプリのキップを勝ち取る!と11月の小倉競輪祭を迎えたのです。

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