不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第94回 グランプリ前夜祭は最高な場  2020年3月30日

 競輪祭も終わり残すビッグレースは年末のケイリングランプリ1996を残すばかりです。私のグランプリ初出場は賞金での出場でした。8千万円ちょっとだったと思います。賞金とはいえ1年間を通して成績を残したと言うことですから、それはそれで満足していました。
 そしてグランプリに出場するステイタスは、京王プラザホテルで開催された前夜祭からも感じました。たくさんのファンの皆様の前でのお披露目と交流の場は、当時は私たち選手としても、ファンの皆様にとっても大変貴重な思い出になったことでしょう。当時は、公営競技選手ですから公正安全の観点からレース中、ゴール後であってもノーリアクションを貫く事。ファンに不信感を持たれないように徹底していたので、あの前夜祭という交流の場は、新鮮な場で私たち選手もファンの皆様もいい距離感だったのではないでしょうか?
 前夜祭の中で最も私が気にしていたことがあります。それは、私たち選手が壇上からお客様のいる所まで降りて自分の名前のテーブルに行き、ファンの皆様とサインや握手、会話などを楽しむ時間があるのですが、果たしてどのくらいの人気があるのか?私のテーブルにどれだけのファンの方がきてくれるのか?私の風貌・ぶっきらぼうなキャラ・走り方をファンの方はどのくらいの目線で評価してくれているのだろうか?非常に気になっていたので、ハラハラドキドキしながら自分のテーブルに行きました。すると想像以上のファンの方が私のテーブルにいるではあーりませんか!わたしのテンションは激上がりしました!「これだけのファンの方の支持を得ている!自信をもって頑張ろう!」と認識できて逆にファンの皆様からパワーを頂けた事も覚えています。競輪グランプリ前夜祭は、選手とファンがひとつになれる最高な場でした。
 そして、大都会、東京から群馬に帰宅。その当時は2億円の家を売却したばかりでしたので、家だけで1ヶ月約80万円の支払いが、家賃4万8千円の2LDKのアパートに、、「生活へのプレッシャーがない!」と感じた私は2軒目の自宅を建てよう!そう決心して1996年の年末の立川GP制覇(当時6000万円)に向けて、冷たい北風が吹く群馬の山を走っていたのを覚えています。

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