疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第16回 人生設計  2016年3月31日

 選手になってからすぐに母親から言われたことがあった。それは、「お金なんて貯めたってなかなか貯まらないものだよ」だった。お金は貯まると使っちゃうからなかなか貯まらないのだと。確かに少し貯まると車買ってみたり、なんだかんだで使ってるような気がしました。
 それもふまえて、デビューして少し経ってから貯金のつもりで土地を購入しました。土地のローンが終わると、その土地と新しい土地を担保にワンルームマンションを建てることにしました。これがのちの年金代わりになれば良いなぐらいの気持ちで建てたのですが、それが丁度結婚前で嫁さんには怒られた怒られた。そらそうだよね、結婚前に多額の借金をして、その借金のある人と結婚するなんて…ですもんね。今考えればよく結婚してくれたな!ですね。なんとかその家賃と自分の稼ぎを返済に入れてローンも無事返済。そうなると今度は最初に買った土地があるからそこにアパートを建てることにした。そのアパートとマンションの家賃と自分の稼ぎでローンも短期返済。てことで、また担保に入れて土地を買ってアパートを建てました。三棟分の家賃と自分の稼ぎでローンを返済し、そんな調子で1棟が2棟、2棟が3棟、3棟が4棟、4棟が5棟、5棟が…とダルマ式に増やしていきました。今じゃなんだか自分の身の丈に合ってないことをしてしまったような気持ちです。
 あの母親の一言で今の暮らしがあると思うと感謝です。
 しかし、私がしてきたことは、金儲けをしようと思ってやるのでしたら失敗でしたね。高卒レベルの頭じゃベストな手段を考えられないのが情けない(笑)私の物件はすべて新築で20年の一括借り上げ。中古のアパートなら利回りがいいので、中古に手をかけながら土地が残ると考えればもう少し楽な資産運用が出来たような気がします。お金を稼ぐということは、体を使うのか頭を使うのか、私は頭が使えないから選手になったんだった(笑)
 選手として走り続けることは、ケガさえなければかなりながく出来るような気がしますが、自分がプロとして納得出来る走りはいつまでも出来るわけじゃない。だからといって結婚をして家族を持てば選手辞めた後も家族の生活は守る義務はあるわけですよね。選手になるために人生を送ってきて、選手しか出来ないだろう生活をしてきた男から競輪を取ったらいったい何が出来るんだろう?今の競輪界のシステムじゃ、【アスリート、辞めた次の日アスニート】ですよ。

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