疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第6回 プロなんです②  2016年1月22日

 合宿の最終日は自宅に向けてまた乗り込み。“乗りこみ”これが自転車の基礎トレーニングなんでしょうか?まずは距離乗ってたような気がしますね。
 自宅での練習はというと、親父が私を選手にさせてしまったのが嬉しかったのか申し訳ないと思ってたのか、仕事出勤前に車誘導してくれてた。車誘導は、ある意味命がけの部分もあるのでよくやってくれてたと思います。ま、車買ってあげたから良しだよね?礼は、キッチリあの世であった時には伝えますわ。親父の誘導を50キロぐらい終えてから自宅で朝食。そして、午前中は練習仲間と約80キロぐらいの街道コース。午後は、バンクに入ってモガくか、伊吹山というアップダウンの繰り返しのある道へ街道練習。毎日これの繰り返しだった。
 ある日、ついつい飲み過ぎて朝帰りしてしまった。ウトウト横になってると、なんだか外から話し声が。そ~だ~、先輩と練習行く約束してたんだ。選手生活の中で、ほんと辛かった練習の中の一つとして記憶されてます。なんてったって吐きながら練習したって、そぉ~ないよ(笑)
 ある日、練習中に雪が降り始めた。街道練習中に雨が降ってきたり雪が降ってきたりなんて、そんな珍しいことでもない。練習仲間は、みんなそれぞれの顔を見合っている。そろそろ…
 そう、私がいる限り引き返すなんて言葉はないんです。
 もちろん雨が降ってる時から出発することはそうない。途中で降りだした雨や雪では完走を目指します。途中で降りだした雨なら、帰る途中には服はビショ濡れです。どうせ濡れるんですもの完走して帰ったって同じでしょ?そう後輩にはいつも言ってたけどね(笑)だけどそれが脚力的にけっして練習になってるとは思ってないのが罪ですよね。脚力向上よりも、自分は、こんな雨の中でも練習してきたんだ。こんな雪の日でも練習してきたんだという気持ちの強さの問題ですよね。だから負けるようなレースではダメなんです。これだけのことやってるから負けるわけにはいかないんです。後輩達には、そう思って競走に参加してもらいたかった。だから、当然私だって負けるレースをするわけにはいかなかった。説得力なくなりますもんね。
 練習グループの後輩達は、朝起きてすぐ北の山の空を見るのが習慣になりました。テレビでの天気予報はまったく関係なく練習地は山に雲がかかってる時は必ず天気が悪い。大垣が快晴でも山にいけば降ってることが結構あるんです。後輩達は、気象予報士にでもなれるかと思うぐらい大垣の山の天気は詳しくなった。

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