疾風怒濤の競輪回顧録

疾風怒濤の競輪回顧録

山田 裕仁 山田 裕仁 やまだ ゆうじ 競輪評論家  昭和63年5月に61期生としてデビュー。平成9年KEIRINグランプリを皮切りに、GP、GⅠを優勝すること9回と、同期の神山雄一郎、吉岡稔真とともに一時代を築いた。14年3月のダービーで現役引退を表明。同年5月の引退後はスポーツニッポン紙で競輪評論家として活動している。

第7回 プロの始まり  2016年1月28日

 デビュー戦は、向日町競輪場でした。卒業レース以来の競走ですから在校成績85位の私は、レースに付いていけるか不安で不安でしょうがなかった。ふと、初戦は先行しようと決めてるんだからついていけるかなんて心配いらないやん(笑)集団でゴール出来ればいいな、ぐらいの気持ちに切り替えられリラックス。結果は、なんと先行して2着(驚)大大大ホームランでしょ!メッチャ浮かれてたよなぁ。しかしその喜びもつかのまだった。昔は新人リーグがあって同期ばかりのレースで午前中のレースだったんですが、当然昼御飯はレース後、後飯と言われるレース後に昼食のグループ。初参加の私は何も知らないから、先輩達がいつ食事に行こうと言ってくれるのか、ず~っと待っていました。「お腹減ったなぁ」と中部の同期と話してたら、「アレ、言ってなかったっけ?」だって。そう、後半のレースの人達は、早い時間に先に食事を済ませてたんです。そんなの聞いてないよぉ(涙)食堂の営業時間も終わってるから昼抜き、その夜はおひつを抱えて食事をしました。ま、中部の先輩達には笑いは取れましたが。
 翌日の準決勝は、さすがに自分のレベルとは違った所を走ってるなと思いました。7着ゴール通過!力通りだなぁ~と思ってたら、赤旗審議。えっマジか。なんと2人も失格判定になって5着ゴールの確定。同じ日に2回も戦いをすることになりました。そう、抽選です。5着1人が勝ち上がりなんです。当然初参加の開催ですから、抽選なんてしたこともなければ、何がどうなれば勝ちかもまったくわかりません。「山田選手、勝ちです」ん、決勝??そりゃ大ハシャギでしょ。決勝進出ですよ。
 決勝戦という場違いなところを走ることになってもその夜は熟睡してましたね。若い頃に寝つきが悪いなんてまったく経験したことなかった。もう、寝れる寝れる。黙ってたらいつまで寝てるんだというくらい眠り続けれた。年をとると早起きになるって本当のことだった(笑)
 決勝戦は、さらに力の違いを感じたレースでした。紫原さん強くなってたなぁ。自分自身も強くはなってたと思ってたけど、学校卒業してからのレベルアップの差がまったく違ってた。
 デビュー戦は、お昼抜きを経験したり、繰り上がり、抽選とラッキーも経験し、貴重な開催でした。昔の、一日でも長く選手を続けなければという思いから、あの強さが無ければ勝てないんだと確実に自分の考え方が変わっていたのがデビュー戦を走って確認出来た。

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