園田匠 選手 スポット・インタビュー

あの2人のおかげで僕のやり方を

園田匠
園田匠

 園田匠が初めてG1ファイナルの舞台を踏んだのが、12年の日本選手権。その思い出のG1を直前に控えた武雄記念を1❸着。決勝は嘉永泰斗、山田庸平の3番手から、九州勢でただ一人、確定板にあがった。
 「僕は去年(武雄記念決勝で4番手で離れた)の二の舞にならないように、連結を外しちゃいけないと思っていた。そこだけに集中していた。(嘉永)泰斗もそうですけど、(山田)庸平も仕掛けてくれての僕は3着。本当は中を割りにいきたかったんですけど。ダッシュで全部、使い果たした。庸平は待ってもいいと思ったし、好きなタイミングで行ってくれればと。そしたら仕掛けてくれた」
 赤板からの壮絶なダッシュ戦にも立ち遅れることなく、園田は山田に必死に食らいついた。その末での3着に、九州の後輩たちをねぎらった。
 「今回は課題だったダッシュが、めちゃくちゃ利いていた。そんなに離れるところもなかったですね。このセッティングが、いいのかなと。セッティングとペダリングですね。いろんなことをずっと試してきて、ダービー(日本選手権)前にここで(決勝)3着で競輪祭の出場権を取れたのはデカい。感じのいい今節でした」
 ホーム小倉で11月に行われる競輪祭の出場権を獲得して、日本選手権に向けても上々の手ごたえを得た。決勝のこの日は、奇しくも大塚健一郎の引退がメディアを通して発表された。小野俊之に続き、同じ月に九州を代表するマーカーが、輪界を去る決意をした。
 「(大塚は)九州を代表するマーク選手。小野さんも大塚さんも、いなくなって本当にさみしい。若いころ世話になって、いろいろ教えてもらったし、あの2人は厳しかった。それでやっぱりいまの僕の戦法もあると思う。僕は僕のやり方っていうのを学んだ。九州にマーク屋がいなくなった。僕もマーク選手って言えるような日が来るまで、しっかり練習したいです」
 小野、大塚とは違うスタイルを模索して、伸び型の追い込みとして15年の寬仁親王牌で初戴冠。マーク屋としての極みを園田も追い続けている。

2026年04月22日 更新

選手詳細データ

園田匠園田匠 選手 / 福岡・87期