私、津田三七子は競輪というハズバンドと、もう20年近く連れ添っております。20年。改めて口に出してみると、なかなかの年季です。出会った頃の私はもっと若くて、もっと素直で、ハズバンドの言うことなら何でも信じていました。「あの先行選手は今日逃げ切る!」と聞けば信じ、「この記者の本命は固い」と聞けば信じ、そうやって何度も裏切られて、それでも翌週には車券を握りしめてスタジオに通っている。気づけば20年です。

でもね、不思議なんです。これだけ長く付き合っていても、まだ分からないことばかり。むしろ年々、分からなさの輪郭がはっきりしてくる。若い頃は「分かったつもり」になれた。「この選手はこういう脚質だから」「この風向きならこう動くから」——そう言い切れた。今は言い切れません。言い切れないからこそ、毎日見ている、とも言えます。

競輪というハズバンド、本当に困った人です。肝心なときに黙り込むかと思えば、誰も期待していない場面で突然走り出す。「番狂わせ」と新聞は書きますが、私は思うんです。番狂わせなんてないんじゃないか、と。彼にとってはどの結末も、ちゃんと筋が通っている。ただ私たち外野が、勝手にドラマを作って、勝手に裏切られた気になっているだけで。

そういうことを、これから少しずつ語っていきたいんです。このコラムで何を書いていくか、最初にお伝えしておきます。

選手のことを書きます。先行選手の背中、追い込み、マーク選手の目つき、落車のあとの数秒間。データには残らないけれど、現場にいた人なら誰もが覚えている、そういう瞬間を言葉にしたい。

レースのことを書きます。ただし当てるためじゃありません。当たり外れの向こう側にある、「なぜそう読みたくなったのか」という、自分の心の動きまで含めて書きます。だって車券って、本当はそういうものでしょう?

バンクの空気を書きます。開催地ごとの空気、風の通り道、お客さんの顔ぶれ。久留米の梅雨の空気、玉野の瀬戸内海の色、京王閣の電車の音、いわきの凍てつくような北風、防府の山の影、そして小松島の海風。いくらでも書けるくらい土地と競輪は切り離せません。

そして時々、ハズバンドへの愚痴も書きます。20年連れ添った特権です。

ひとつだけ、最初に申し上げておきたいこと。このコラム、シナリオはありません。思いついたことを思いついた順に語ります。整っていない日もあるでしょう。脱線する日もあるでしょう。でもそれが「語る」ということだと思っています。整えてしまったら、もうそれは私じゃない。

20年連れ添ったハズバンドの話を、これから気の向いた時に聞いてください。

まぁ、ハズバンドだってこんだけ変われば言いたいことも多いでしょうが…

2007年、茶色い髪で取材する若き日の津田三七子
2007年
2010年、いわき競輪場のカメラ前でマイクを手にリポートする津田三七子
2010年
2011年、マイクを持ち笑顔で取材する津田三七子
2011年
2026年、ピンクの衣装で赤旗を持つ津田三七子(松阪ナイトレース収録)
2026年