強行出場の松浦悠士が語る決意「覚悟が足りなかった」 ~四日市記念~

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松浦悠士
満身創痍ながらも全てを振り絞る
走るからには全てを賭す

 四日市競輪開設74周年記念『泗水杯争奪戦』は、11月1日(土)に2日目が行われた。二次予選6Rに出走した松浦悠士(広島・98期)は、3着で準決へ進出。ケガをおしての出場ながら、気力を振り絞って勝ち上がりを決めた。

 サマーナイトフェスティバルで落車した松浦は、左肋骨骨折に加えて、肺挫傷、肺気胸の大ケガを負って、74日間の欠場を余儀なくされた。そして、復帰2戦目だった寬仁親王牌でも、初日にまさかの落車。一旦は翌日の出走を決断したが、想像以上の痛みに襲われ、無念の2日目当日欠場となってしまった。「サマーナイトで折れた方と、逆の肋骨が折れた。右肋骨と、左の人差し指の腱損傷」が、親王牌での落車の診断内容だった。そこから中5日での今開催は「走るしかない」と、GI参加資格の出走本数をクリアするための強行出場だった。

 初日特選の松浦は、最終周回で9番手。そこからどんどんレースに置いて行かれて、8着大敗。誰もが「今回の松浦は買えない」。そう思った。しかしながら、2日目は目標の佐々木豪がブロックされてしまう苦しい展開の中、渾身のハンドル投げで3着まで届かせた。レース後の共同会見に現れた松浦は、右の肋骨付近を抑えながら、苦しそうにこう話した。

 「昨日よりも痛みが引いたけど、ハンドルを投げ過ぎて、もう一回痛みが出てきた。ちょっと後悔しています」

 肋骨が折れていながらも、目いっぱい両腕を伸ばして、車券圏内までハンドルを届かせた執念。鬼気迫る表情で、さらに続ける。

 「初日は、プロテクターを着て走ったんです。正直、覚悟が足りなかった。今の状態で走るのは危険が伴うのは分かっています。それでも、今年は全然走れていないし、走るしかない。走る以上は、覚悟を持って走らないといけない」

 この後には競輪祭が控えており、年末には、大規模な改修を経て再開した広島競輪場での地元記念が待っている。そこまで休んで、体を癒したい気持ちは山々だろう。そうはせずに強行出場を決断した。松浦は、全てを賭けて競走に挑む覚悟を決めた。

熊谷洋祐記者

2025年11月1日 22時33分

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