平原康多氏のトークショー ~取手競輪場~

「今後も競輪を盛り上げたいという気持ちは変わらないので、温かい声援をよろしくお願いします」
6月1日の取手競輪開設75周年記念「水戸黄門賞」2日目に、5月30日付で引退した平原康多氏のトークショーが行われた。引退してからは最初のイベントとなり、ステージ前には多くのファンが集まった。
冒頭には「若い頃から長い間、温かい声援をありがとうございました。いきなりになってしまったんですけど、引退することになりました。今後も競輪を盛り上げたいという気持ちは変わらないので、温かい声援をよろしくお願いします」と改めて引退の挨拶とファンの方への感謝の言葉を述べてトークショーがスタート。
まずは引退発表からここまでの心境として「自分の中ではダービー最終日を走り切って完結した」と語り、その後は進行を務めた木三原さくら氏が平原康多氏の競輪人生を振り返りながら話が進む。選手になるきっかけとしては「父が競輪選手で、進路を考えた時に自転車をやろうと中学生の時に決意しました」と振り返り、選手時代にあった2つのターニングポイントの話題にうつった。
一つ目のターニングポイントは「若い時にS級に上がってすぐ後閑信一さんと知り合って、いろいろと競輪の事を学ばせてもらった。どこの記念とかどこの場所かは覚えていないんですけど、そこから話かけてもらって練習に行くようになりました。考え方から、自転車の乗り方から、練習方法から全部見直しました。今でいうと108点ぐらいの位置を1年ぐらいいたんだと思う。そこで壁にぶち当たって、そこで声をかけてもらった」と競輪界の"BOSS"こと後閑信一氏との出会いをあげた。二つ目のターニングポイントは「今回、走られている武田豊樹さんと連係するようになってからだと思う。最初はずっと同じレースでも敵同士で別線で走っていたので、宮杯か宮杯のあとぐらいだと思うけど、神山(雄一郎)さんに連係しようという感じで、そこから始まった感じです。僕はあまり(後輩に)言ってきたタイプじゃないんで、武田さんが一番強くて厳しくやっていた時が、関東が一番強かった」と長らく一緒に関東をけん引した盟友・武田豊樹との思い出を感慨深げに振り返った。
思い出に残るレースとしては「去年の日本選手権が一番です。まさかっていう感じだったし、本当に仲間に獲らせてもらった。競輪ができたなというのが一番の思い出です」と長年目標としていたダービー制覇をあげた。そのレースで平原の前を走り、今年の日本選手権で平原氏から受け継ぐかたちで、ダービー王に輝いた吉田拓矢。平原自身も「ヨシタク(吉田拓矢)と眞杉(匠)がしっかり先頭を引っ張っていってもらえれば問題ないと思う」と頼れる関東の後輩たちにバトンをつないだ。
最後には「(競輪界を盛り上げるつもりは)当然あります。まだちゃんと決まっていないですけど、できることは協力していきたいと思います」と今後も競輪界に携わる気持ちをファンの方に伝えて、締めくくった。