不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第113回 テーブルの下から「ごはんですよ」が…  2020年10月26日

 そして黙々と食事が進み気の緩みが出てくると、おしゃべりをする選手も出てきます。幸い私は食事中には黙々と食べる派で、子供の頃に親から「口の中に物が入っている時に喋るものではない!」としつけられてきたので、そこは住職に注意される事はありませんでした。たくさんいる選手の中には、精進料理を良い機会だからと楽しんで食べている選手と、そうでない選手といて、おひつのご飯が残っている列や味噌汁がまだ大量に残っている列もあり、食べられる人のところに回ってきます。それが何故か?私のところなのです。私も正直、若い頃は人の3・4倍は食べていましたので、赤だしの味噌汁に白米なんかはいくらでもおかわりをしました。米粒一つ、わかめ一枚、付け合わせのおかずを絶対に残してはいけない!今はアレルギーがある人もいたり、その人を尊重する時代ですが、あの当時はそんな事は許されない時代だったと思います。
 私は全然大丈夫だったのですが、一つだけ生理的に無理な事がありました!それは前にも書きましたが、「二枚のたくあん」です!それが何かって?その二枚のたくあんはかなり漬け込まれてあり、田舎のおばあちゃんの家を連想させる位のしおれ感としょっぱさなのですが、食べる前に住職から「二枚のたくあんは食べずに最後までのこしておくこと!」の意味が初日の食事をしてやっと解ったのです。食事が終わると各テーブルに置いてあるお茶の入っている急須が回ってきて、まずは一番大きな白米の茶碗に注ぎながら二枚のうちの一枚で茶碗を洗うのです!そして次にそのたくあんで洗った白米の茶碗から味噌汁の茶碗へと移し替え、そのたくあんで同様に洗います。そして一枚目のたくあんを食べると、各茶碗を洗ったお茶で良い加減に薄まり、かなりしょっぱかったであろうたくあんの味は程良く食べ頃になっているのです。そしてもう一枚のたくあんでおかずの器などを洗い、食べてはいけなかった二枚のたくあんの役目は終了!そして、私が生理的に無理なのはそこからなのです。その二枚のたくあんで各食器を洗ってきたお茶を最後に飲むのですからこれには正直、抵抗がありました。いくら自分の食べたものとはいえ、たくあんで洗った汁を飲む、、。今思い出すだけで気持ちが「うえっ」っとなります。
 そしてその「うえっ」が無事に終わると、自分の器を片付ける作業に入ります。付いていた風呂敷を敷いてその上に白米の茶碗、味噌汁の茶碗、おかずの器と重ねて箸を箸袋に入れて風呂敷をしばると、綺麗に元の状態に戻ります。それを順番に一班から順に並べて行くのですが、黄檗山に入ったときに班は各県や各地区に分けられていましたが、一人一人に番号が与えられていなかったので、これは潔癖症の私からすると大問題です!「もし次に一人でも並んだ順番がずれた暁には、違う選手の器や箸で食べる事に?、、、。絶対に無理~!なので私は箸入れの端を少し折り曲げるというナイスな発想で、第一回目の食事を終わらせたのです。
 そしてお寺なのでやることも無く、住職の法話や掃除が終わるとまた夕食です。確か夕方の5時頃だったような気がしますが、まだお寺に入ったばかりですので、食欲はバリバリにありました!そして食堂へ班に分かれて並んで行くと、あちこちから「やべ~俺の茶碗どれかわかんなくなちゃった~」と聞こえたのです。私は心の中で「馬鹿だな~そんなの俺みたいにちょっとの機転が利かせられないのかね~」と私は箸袋の先が折れ曲がっている風呂敷を探しました。すると、、、「なぬ~????」という大事件が起きたのです。なんと箸袋の先が折れ曲がっているものが二つ、三つと置いてあるのです。同じ考えの選手がいたのです!これには正直、焦りました。席に着くわずかな時間で自分の茶碗セットを見つけなければ住職に怒られる!箸袋が折れた数名の選手が私と同じ思いで必死に自分の茶碗セットとにらめっこ!この時ばかりは、レースを走る時はバチバチやり合っている相手でも、この場だけは仲良く「さっきは誰の後ろに並んでいたの?う~ん!確か?班長の何番間が誰だったから、、などと潔癖症のラインが出来つつあり、やはり相談の結果、班長の後ろから潔癖ラインが並んだ思い出もありました(笑)。
 私は昼と夜のご飯は美味しくおかわりまでしたのですが、苦手だったのは、朝食の(おかゆ)でした。こんな見た目でかなりの猫舌!私は短い時間の中でこの熱々のおかゆを食べなければいけない事が苦痛でしかありませんでした。しかも、私が大食いだと思っている先輩が私におかゆの入ったおひつを回してくるので、私の前には熱々のおかゆの入ったおひつが並ぶ光景になってしまいました。「味のしないおかゆをこんなに食えるわけねえだろ!」とおひつを回してくる先輩達に言おうとしたその時、びっくりする事が起きたのです。もう時効なので話しますが(笑)某超有名大ベテランスター選手からテーブルの下を通してなんと「ごはんですよ」が回ってきたのです。味のしないおかゆが一変!そこからは一気でした「お~流石!」といわれそれからは、その憧れていた先輩から「ふりかけ」などがまわって来るようになり、初めての黄檗山の食事に関しての攻略法は掴かめた気がしました!「ごはんですよ」「ふりかけ」は持ってきてはいけない物でしたが、新人の私にとってはその先輩の粋な計らいとユーモアに魅せられ、そこから何となく黄檗山も慣れたくは無いけれど抵抗なく行ける様になってきました。それは何故か?年代的には昭和で基本的には怖かったけれど、人間味のある面白い先輩達がたくさんいたからだと思います。爆笑を堪えての朝の「座禅」から始まり、次のレースの不安やせかせかと動く事の無い、音楽や情報も入って来ない「しーん」とした非日常を味わえた黄檗山。次はその「座禅」からお話をしたいと思います。

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