言葉を失うような報せを受けてから、一週間あまりが過ぎました。

時間が経てば少しは気持ちの整理がつくのかと思っていましたが、いまも現実として受け止めきれません。

SNSに何か書こうとしても手が止まる。そんな日が続いていたとき、プロスポーツの編集長から「自分が見てきた伏見俊昭選手を書いてみませんか」と声をかけていただきました。

パソコンを開いても、言葉が浮かばない。

それは、伏見選手があまりにも大きな存在だったからなのだと思います。

多くの関係者が伏見選手を語るとき、「努力の天才」という言葉を口にします。

私が全く競輪を知らない中、スピードチャンネルで仕事を始めた2007年、伏見選手はすでにオリンピックでメダルを獲得し、KEIRINグランプリも制していたトップスターでした。

そんな選手に初めてインタビューしたのは、2007年の高松宮記念杯競輪。大津びわこ競輪場でした。

私にとってはGⅠでのインタビューは初めて。不安でいっぱいだった私に、したらじゅんこさんが「伏見選手なら大丈夫。分かりやすく話してくれるから」と声をかけてくださいました。

その言葉どおり。

何を質問したのかは、正直覚えていません。でも、どんな質問にも丁寧に応え、わかりやすいように話してくださったことだけは、今でも鮮明に覚えています。

トップ選手だからこその余裕ではなく、相手への思いやり。

その優しさは、インタビューだけではありません。ご自身のコラムを読んでも感じられる、人柄そのものでした。

その年、伏見選手は2度目のグランプリを制覇。翌年には悲しみを乗り越え、オールスター競輪も制しました。

誰もが知る輝かしい実績の裏側には、人知れず積み重ねてきた努力があったのでしょう。

だからこそ、多くの人が「努力の天才」と呼ぶのだと思います。

最後の開催となった松阪競輪場。

50歳を過ぎてもなお競輪と真摯に向き合い、自力で初日特選を勝利。通算619勝目を挙げた姿は、最後まで伏見俊昭という競輪選手らしいレースでした。

その勝利者インタビューは、松阪競輪場のYouTubeに残されています。

あの笑顔を見ていると、まさかそれが最後になるとは、誰も思わなかったはずです。

競輪界には数多くの名選手がいます。

その中でも伏見俊昭選手は、多くの人に愛された選手、忘れることのできない存在です。

伏見選手、本当にお疲れさまでした。

たくさんの感動をありがとうございました。

心より、ご冥福をお祈りいたします。