不撓不屈・ボスの自転車人生

不撓不屈・ボスの自転車人生

後閑 信一 後閑 信一 ごかん しんいち 元競輪選手  平成2年4月に65期生としてデビュー。落車による大ケガや数々の困難を不撓不屈の精神で克服。第46回競輪祭、第15回寛仁親王牌、第56回オールスターとG1で3V。面倒見いい親分肌と風貌から〝ボス″と称された。平成30年1月引退。通算成績は2158戦551勝、2着311回、3着255回。

第88回 神山雄一郎選手の虜になる  2020年2月6日

 千葉ダービー決勝戦で落車し右鎖骨を粉砕骨折。その日のうちに自宅へ帰り、数日後に手術をする事になりました。群馬県前橋市にある山本整形外科です。名医で当時の群馬県の選手は殆ど山本先生にお世話になっていました。今回は粉砕骨折でしたので、プレートを入れた手術をしました。粉々になった鎖骨を集めてプレート手術をするのですが、プレート手術はメスを入れるので、せっかく出た骨液を流してしまい、骨自体の完治は遅れてしまいますが、プレートで骨はズレたり動く事はないので、痛みはほとんど感じませんでした。
 しかし、脳は無意識に怪我をした右鎖骨を常にかばっている状態。体のバランスは崩れていき、悩む日々もありました。それから数ヶ月はスランプに陥り、どんな乗り方をしていたのか? 自転車のセッティングも悪い体に合わせていってしまい、負のスパイラルも経験しました。しかし、レースを走る以上は言い訳は利きません。競り合いも多くあり、痛めた肩をぶつけ合う事も多々あって、いつもアイスバックで冷やしていたのを覚えています。
 骨折とほろ苦い千葉ダービー決勝戦でしたが、収穫はG1の決勝の舞台で高校生の頃から憧れていた神山雄一郎選手の後ろをマーク出来た事。しなやかで鋭く、精度の高い次元の違う走りを目の当たりに体感出来た事!走る前は神山さんに「自分が前で駈けさせて下さい」と申し上げたところ、「大事だ!」と栃木弁で言われた事。(栃木弁で大丈夫!という意味)それから私は神山雄一郎選手の番手を回らせてもらう機会が多くなり、数えきれない程の貴重な体験(財産)を頂く事になるのです。それが圧巻なのです。王者神山選手のレースの組み立ては、殆どが仕方なく前を取らされる形になりますが、レース直前の作戦会議でもあり得ない程に事細かにイメージしているレース展開を私に話します。車輪の差し方まで、、。自分が少し踏み込むフリをして相手のラインが崩れる瞬間を狙った捌きや、意表を突いてタイミングをずらした捲りや先行の仕掛け方など、、。バリエーションはかなり豊富でした!普通に走るだけでも桁違いの強さ!半端ない加速力!ですから、更に走り方に精度の高い変化球を加えられたら、相手のラインはたまったもんじゃありません。私は神山選手の後ろからその走りを見て追走して来ましたが、本当に気持ちのいい素晴らしい!の連続で、感動しっぱなしで私はもう神山雄一郎選手の虜になっていました。別の開催で自分の前にラインの先行選手がいない時などは、レベルは神山選手の走り方に成り切って実際にやってみると「なるほど!」と面白い程にレース展開を操れるのです。
 3月の千葉ダービー以降、成績を落とし高松宮記念杯競輪では決勝戦に乗る事が出来ず悔し涙を飲みました。そして迎えた8月の宇都宮競輪場で行われたG1全日本選抜競輪では初日の特選は3着!優秀戦に乗る事が出来ました。そして神山雄一郎選手の番手を巡って私を含む関東のマーク屋3人が乗り合わせたのです、、、汗。

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